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2014-10-12

ドレスデンへの旅・5

9月17日(水)もまた、忘れられない一日となった。娘の結婚式への旅は、久方ぶりの遠くへの旅であり、一日一日の密度が、濃かったのと、初めての旧社会主義国圏への旅でもあったがために、すべてが新鮮でおりおりの記憶の映像が記憶にくっきりと残っている。

この日私と妻は、ベルリンへ日帰りで出かけることが叶った。1989年はベルリンの壁が壊れ、娘が生まれた年である。第二次大戦後同じ民族が西側と、東側に分断されていた。東西の冷戦、その象徴的な都市、ベルリン。映画でも幾度も描かれた未だ伝説の都市。

訳知りなことを書くつもりは全然ない。1952年生まれの私には、ようやくにして、この歳になって、両親たちが生きてきた時代、祖父母が生きてきた時代が、どのような時代であったのかを、きわめて個人的に、知りたいという欲求が歳とともに高まってきている。

おりしも娘たちが、結ばれる今年は第一次大戦から100年、歴史を学ぶ、現代史を一庶民の側から学ぶということの重要性が、私の中で日増しに強くなってきているのである。

さてその日、メモを見ると7時50分のバスでホテルをホテルを出発、怜君と娘が中央駅まで一緒に来てくれた。両替ののち、怜君が自動券売機で往復の自由席券を買ってくれ、自由席に座るところまで見届けてくれた。

往復、160ユーロ(1ユーロ150円くらい)。ドレスでデンからベルリンまで約2時間10分。9時05分発で11時15分に着いた。この間、車窓からの異国の丘陵風景に、飽かず私はただただ見入った。意外に松林なんかもたくさんあった。

はるか遠くや、あちらこちらに風力発電のプロペラの回っていた。脱原子力発電に舵を切ったドイツ、数千か所も水力発電があるという。異国では、完全に意識が解放される。ことさらにゆっくりと物事が考えられる。だから、青春時代から今に至るも私は時折、私は日本を離れる。

ベルリンに着いた私たちは、とにかく頑張ればブランデンブルク門まで歩いてゆけそうな距離だということが分かったので、地図のない旅、当たりをつけ歩き始めた。歩いたからこそ、これを書いている今も記憶がよみがえってくる。

歩くけるうちは、ひたすら歩く、これが私にとっての旅の醍醐味と言っても過言ではない。歩いていると、昔のガイドブックなどがない時代の旅人の気分に何とはなしにひたれるのである。限りなく荷物は少なく、手ブラで歩く。

情報は、第一次情報、自分で見つける。気配を読み、人から直接得る。お昼、ベルリンを象徴するブランデンブルク門にたどり着いた。観光客が引きも切らない。我々もその一人だ。壁が壊れて25年、当たり前だがおそらく旧東側のベルリンは大変貌を遂げたのだろう、周辺は、旧西ドイツ的なモダ―ンな都市にに今も再開発の流れが、止まないような印象を持った。

ブランデンブルク門からポツダム広場は、そう遠くはない。最もゆきたかったのはポツダム広場の壁のあった場所だったので、向かう途中の中華の店でランチ。チャーハンと肉野菜炒めライスとビールで、21ユーロ。(量がとても多く食べきれなかったので、テイクアウト、夜ホテルで食べた)

食後我々は、ポツダム広場の交差点の、壁の跡に立った。壁には無数の落書きがしてあり、迷ったがボールペンで私は日付を記した。ベルリン駅に降り立ったときにモダンな都市に変貌しているという第一印象があったが、ポツダム広場周辺も跡だけを、象徴として残しいているにすぎないといった風情。再び激変している印象。

開発という、全世界を席巻するお化けのような資本が、ベルリンにも吹き荒れているというのが率直な感慨。こうして歴史は塗り替えられてゆくのかも知れない。

もうすぐに、ドレスデンに帰ってもよかったのだが、せっかくなので標識なんかを見ながら今しばらく散策していると、ベルリンフィルの本拠地や予期しなかったゆきたかった美術館に当たったので、そこでしばらく時間を過ごした。

ものすごい数の宗教画に、気圧されてしまった。迷路に迷い込んだというしかないくらいの部屋数があって、キリスト教素養のない私には、なんとも頭が痛くなるくらいの質量分量。ただ、フェルメールの作品があることは、入管前確認していたので何とかお目当ての作品だけは見ることが叶った。

美術館を出てもしばし、ゆきあたりばったり歩いた。運河に水上船を見かけたのでそれで駅に戻ろうと思ったのだが、船着き場が見つからず、さすがにすっかり疲れ果て、結局タクシーで駅に。【10ユーロ)

予定より、早い汽車でドレスデンへ。車中販売でビールを買い、飲みながら夕暮れまじかの車窓からの景色を愉しいんでいると、いきなりエルベ川が眼に飛び込んできた。午後7時過ぎにホームに着いた。

駅構内の、スーパーで食料品を買い、66番と、86番のバスを乗り継いでホテルに帰った。バスにも少し慣れた。ホテルで、簡単に夕食を済ませたころ、いよいよ明日は結婚式の怜君と娘がやってきてしばし雑談。

式前夜、二人はこころなしか興奮を隠せないようだった。妻と次女もしかり。私は明日着る服の確認を済ませ、早々にベッドに横になった。

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