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2014-02-26

長兄の娘の結婚式の思う、春の朝。

日々の繰り返しの中で、何かと同じようなことを繰り返しながらも、何かが微妙に変化してゆく。我が姉兄弟4人が(弟はタイにいて不参加)久しぶりに4月には全員そろう。長兄の娘が千葉の方と縁があり、軽井沢で挙式をすることになったからである。

5姉兄弟のうち4人が、そろって式に参加するということが私には、とてもうれしいことなのである。お互い元気であり、昭和を生き延び、平成の今ようやく子育てが終わり、世の中に出て同じ時間を過ごすことが少なかったにもかかわらず、姪の結婚を祝うために集結できるということ、ただそれだけで私は嬉しい。

同じ兄弟でも、世の中に出てからの過ごし方であらゆることに変化が生じてしまい、微妙な意識のずれは、いかんともしがたいのが世の常である。我が兄弟とて、いろんなことがあるのだが、肝心な時には、一致して集結する、そのことができるということが、私にはただひたすら、意味もなく嬉しいのである。

今は亡き我が両親に対して、何か申し訳が立つ気がするのである。戦前生まれ、引き揚げ体験の姉と兄は、やはり兄弟の中でも一番苦労をしてきていると、4番目の私は感じている。だからいまその姉や兄と、生活の違いによる考え方のずれはあっても、お互いの今を、思いいたれる余裕のようなものが私の中に出てきたこともうれしい。

それとやはり、小さいころ苦労を共に暮らしているので、会えば共通の話題で盛り上がれるということが、この年になると、とても嬉しいのである。私のわんぱく幼少年時代を知る、かけがえのない人たちなのである。思い返すと恥ずかしきことのみおおかりきといったあんばいだが、懐かしい。

この先あと何回、全員で逢えるか、と考えるとはなはだ貴重に感じられる。お互い子育て真っ最中のころには、皆忙しく、経済的にも余裕がなく、そのことで手一ぱいいだったから、ようやくたまさかの余裕のある会合が持てる年齢に
父が書き遺した26回の地方紙の新聞連載
なったということである。

そういう意味で、姪の結婚式の儀式が、我が姉兄弟を一堂に集う機会を与えてくれたという意味では、ありがたき幸せというほかはない。姪にとって、これかの人生の門出に我々の姿が記憶に残ってくれれば、これ以上のお祝いはない、そのように思える。人生、折々、どんなにささやかでも祝福の時間が必要である。

そういう我々の姿を、娘や、姪や、甥たちに、かすかに残し伝えるためにも、私は五十鈴川だよりを、つたなくてもわずかでも、書いておきたく思う。姉兄弟皆それぞれに年を重ね、老いてはきたが幸い全員元気であるそのことが、何よりもうれしい。

今現在の幸せを、たまさかの姪の結婚式で祝いながら確認したい。亡き両親がそんな我々の姿を見たら、あの世で安心するだろう。無数の先祖のおかげで今の我々は、たいへんな現世をなんとか、しのいで生きていられる気がする。

あの両親の、教育のおかげで、(本当にご迷惑をかけました)私はなんとか生き延びてきたのだということが、ようやくはっきり今、自覚できるのだ。このような両親をを持てたこと、そしてそのような個人的なことを、臆面もなくつづれる、幸福を私は噛みしめている。

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