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2014-02-14

62歳の誕生日を家族全員が祝ってくれました

ビニールトンネルの中で発芽してきたネギ
いちいち書くことでもないのですが、個人的自己偏愛ブログなので書きますが、昨日は私の62歳の生誕の日でした。

60歳の誕生日は遠野で迎えたのをはっきり覚えています。2日ほど大槌町で瓦礫の撤去をし、その中で今後のことをゆっくり考えた日々を。

あれからまたたく間に2年間が過ぎましたが、あの日心の中でやんわりと考えたことを、その後なんとかこの2年間実践しながら生きてきたように思います。

昨日も書きましたが、人生をリセットしようと思ったのです。もちろんこれまでの歩みの上での、新しいリセット。あらゆる、関係性を見直して、これからの人生時間を、可能な限り自分に素直に、再構築できるものなら、やってみたいと、今も考え続けているのです。

だからなのだと思います、農の仕事に巡り合えたのも。親としての仕事にほぼめどがついた今、経済的なことはとともかく、生きがいを保てる、晩年ライフを送るために必要なことは、繰り返しここに書かなくてもおのずと、浮かび上がってくる気が、私はします。

大人ならば、それくらいのことは、一人で十分に出来る覚悟が、備わっているのが普通だと思いますが、私が普通に思うことがなかなかにできない。子供じみた大人がわんさかいるように感じられるのです。(そのような大人がはびこる今、一部の若い人たちの方がとても新鮮です)

だから、、私はそういう大人がいるところには、この5,6年トンと出かけなくなりました。命は有限です、できるだけ波動の合う人たちと暮らしたいのです。この年になると、命の不思議には若いころよりずっと敏感です。いろんなことに対して気づくのも、きっとどこかに余裕があるからなのだと、自分では思います。

ささやかな思いの発露を、こうやって書きつづるひとときが送れるということひとつとっても、新鮮な心持の今を生きているという証左なのかもしれないという気がします。自己満足的ではあれ、自分あっての世界なのですから。そういう共通感覚が何とはなしに通じ合える関係性こそが、私にとってはかけがえのないものです。

ともあれ、この世に送り出され62年間、生きているそのことに関して、今は亡き両親に一番感謝しています。

昨夜は、母、妻、次女が私の生誕を祝ってくれ、東京で働いている長女からも電話がありました。妻と娘たちからは、冬の農に使う、必須アイテムの品々をプレゼントされました。まずは足元が満たされていないと、いい仕事はできません。

家族あっての私です。生誕の日は、普段はあまり意識しないことを、きちんと深く確認する又とない日です。


1 件のコメント:

  1. 遅ればせながら お祝いを。

    お誕生日 おめでとうございます。
    これからも なおいっそうのご活躍を。

    ところで お隣の国では 誕生日は 「産んでくれた母親に感謝する日」なんだそうです。
    ワカメスープを飲む習慣は そこから来ているとのこと。
    で、そのスープも 自分で作るのではなく ほかの人が 作ってくれたものでないと。

    寒いです。ご自愛ください。
    歌の文句ではありませんが 「お前ひとりの身ではない♪」

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