2013-11-29

農業の仕事に携わって2カ月たった朝に思う


今日も穏やかに目覚めることができた。先ほど起きていの一番に薪ストーブに火を入れた。家人はまだ休んでいる。一週間前くらいから、薪ストーブを焚いているが、私にとっての薪ストーブは、冬を過ごすための必須アイテムである。

 

なにはなくとも炎の揺らめきは私の身体も心も温める。夕食後家族がストーブの周りで、思いおもいの時間を過ごすひとときが、我が家の冬の過ごし方である。今週末は遊声塾のYさんのお宅に薪を頂きにゆく予定だ。薪の調達、薪作りは一つの楽しみでもある。生きているということのわかりやすい一番の楽しみは、身体が動くということだと、思い知る。

 

さて、この2週間くらい畑の葱の収穫と出荷に追われながら、その間にわずかのスタッフで、春に収穫予定の葱を植えている。何かとやることがあり、それぞれがキビキビてきぱき働くので、非常に職場の空気が和気あいあいと楽しい。皆良く笑う。

 

退職して後、まさかこのような私にぴったり(手前みそではなく)あう職場に巡り合うとは思いもしなかった、それも家からこんなに近くに。あっという間に2カ月が過ぎようとしているが、いささか言葉にしにくいほどの、幸運に私自身かなり驚いている。

 

以前の私は毎年何か企画しないと、落ち着かないような日々を送っていたが、企画をしないということではなく、企画をしなくても何か落ち着いた日々が送れてゆきそうな気がしてきている。

 

それほどにサンナンの専務との出会いは、岡山にやってきて初めてとも言えるくらいに、大きな刺激をじわじわと私に与え始めている。私より二歳年下だが、発想力、行動力、実現力、すべてにおいて、経営者として、人間として、興味深い方である。

 

農業部門を立ち上げて、わずかまだ2年だが、悠々と勇気を持って果敢に取り組んでいる。このような夢と希望とある種の企業哲学を持って実践している経営者に我が人生で初めてであったように感じている。

 

人間の能力はすべてはヒトとの出会いで決まる、といっても過言ではない。61歳、いささかおよび腰になりがちな年齢だが、A専務との出会いは、私をしてもうひと踏ん張りするぞという、気持ちにさせている。会社とは何か、きらりと咲いている会社に出会った。

 

 

 

 

 

 

2013-11-28

平凡な生活の中に、非凡なひととき、無心で声を出し続ける雨の夜

遊声塾のY氏・良き人にであった、声が変わってきた

毎週水曜日の夜は、シェイクスピア遊声塾の日である。農業の仕事を始めてから水曜日は極めてハードな一日の日となっている。それがほぼふた月続いている。

 

今朝も4時半には起きているから、昨日は塾が終わって家に帰ったのが9時近かったから、毎週水曜日は長い、がしかし充実した日を過ごしている。

 

昼は農の仕事で身体を動かし、週に2度山陽カルチャープラザと遊声塾で、シェイクスピアの台詞を声に出す、全く対極的な時間を過ごすことで、私の精神と体は不思議と安定し整う。

 

何かと暗い出来事やニュースが、日々の暮らしを覆う中、なんとか自分で工夫し、自分で自分と遊ぶ時間をつくることは、私には必須である。一人でも私は声を出して遊ぶことが可能だが、何人かの仲間がいればシェイクスピアはより輝きを増すので楽しい。

 

人間はほとんどお金がなくても、元来楽しめる体を神が授けて下さっているのだということが、声を出していると実に腑に落ちるのである。ことほど左様になにも声だけに限らず、何でもいいのだが、限りなくお金はなくとも、健康体であればあらゆる創意工夫で、
いくらでも楽しめる、そのようなことを私は演劇を学ぶことで感知(しる)ことができた。

 

要は、人生いかに自分自身と対話し、遊べるかに尽きるというのが、61歳にして現時点で私が学んだことだ。情報汚染、金銭汚染に、なんと現代人は蝕まれていることか、お金がないと生きられない(確かに一面的にはそうだが、)という強迫観念にがんじがらめになっているというのが、わたしの偽らざる認識だ。

 

お金で世界は買えないのだ、そもそも世界は誰のものなのか。世界はセンス・オブ・ワンダーに満ちている、それを見つけることができれば、と思う。おのおのささやかに咲く勇気が必要な時代を3・11以後、私は感じ続けている。

 

もし私が、ギリスにも留学せず、富良野塾にも参加せず、眼先の安易な道を選択していたら、今頃おそらくこのような心境をつづる61歳にはけっしてなってはいなかったであろうことは断言出来る。

 

お金はとても大切なものである。お金は使い方次第である。お金は使うもので、使われるものではけっしてない、というのが私の認識だ。

 

ということで、昨夜は昨夜は塾生のYさんと二人で、みっちり1時間、二人で無心で声を出し続けた。身体はこのところのハードスケジュールで疲れていたが、心は晴れ晴れ終わるころには、なんとも言えぬ爽快感につつまれた。雨はあがっていた。

 

良く働き、良く声を出し、ぐっすりと眠る。日常はこれで充分な今の私の暮らしである。

2013-11-27

特定秘密保護法案が衆議院を通過した翌朝に思う

ネギの薄皮をむく機械の試作品を作っている
専務とF氏

ほぼひと月前の文章を消しながら、今日は今日のブログ用の文章を紡ぎながら日々を生きている。わずかひと月前に書いた文章を書いたのも、いま現在書いているのも同じ私なのだが、書いている本人は微妙な違いというか、確実にまるで薄皮が積もるかのように、変化している自分を感じる。

 

さていきなり話は変わる。秘密保護法案が衆議院を通過した、充分な審議もせぬまま、こともなげにあらゆる重要な法案が通過し、私のような間抜けな庶民はいともたやすく、他のことに気をとられている間に、重大なことは水面下できちんと知らされずきめられる。

 

そしてやがて、そのつけはあまた無数の庶民が払わされる。いくら国益だ、なんだかんだと言われても、自分たちは責任をとらず知らせず、弱い立場の人たちを、吸血鬼のように扱いながら、かっこつけて太ってゆく国なんて、弱肉強食それで(半分以上の人たちは無関心のようだ)いいと多数の人たちに言われても、私はご免だ、という立場である。

 

一昨日、カンパを振りこんだ時の手数料は一番安い銀行で420円であった。この十数年いくばくかのお金を銀行に預けて、いくらの利子がつくと言うのか。私たちが納めている税金の使い道にしても、とんと腑に落ちないような使い方がされるということにたいして、もうすこし、せめて大人ならば関心を持ってしかるべきではないだろうか。

 

こういうことの世の成り立ちに無関心で、声を上げないというのは、やがてはそのつけが、声をあげない側に回ってくるのは、先の大戦で原爆まで落とされて経験してきていることである。

 

国民益を心から願う政治家ならば、大切な情報こそ国民に知らせるべきではないかと思うが、国民をはなから無視しているかのような、現政府の姑息なやり方は、一個人としてはなはだ腑に落ちない。私のような一庶民でさえおかしい時代の流れを感じていて、朝からこのようなブログを書いている。

 

不穏な嫌な予感の到来の足音には耳を澄まし、考え行動しないと、まずいと思う。個人的には、はなはだ政治的なことには関わりたくはない性格なのだが、自由な表現、平凡な生活が脅かされるようなことは、何としても勇気を持って声をあげなければと思う。

 

選挙にもいかない、政治にも無関心、世界の痛みにも無関心では、あまりにもさみしい大人たちが住んでいる国というしかない。

 

今朝の私のブログは一人でのバーチャルなデモである。ヒトそれぞれに、やり方の方法がある、思考の動脈硬化を避けて、各々がユーモアを失わずにアクションを起こす時代がきているとおもう。

2013-11-26

祝(ほうり)の島上映会無事に終えることができました。関わった方たちすべてに感謝します。


はなぶさあや監督の2作目今月29日から東中野ポれポれで上映

24日、二週連続の今年をしめくくる、個人的ささやかな上映会を、薄氷を踏むような心持でなんとか終えることができました。時間的な余裕がまったくなく、農業の仕事とのはざまで、難産の企画となりましたが、そのことがまたいろいろなことを私に学ばせる契機となりました。

 

これから先、もっと年齢を重ね、やってよかったときっと思える上映会になると確信しました。きてくださった方々、また関わってくださったスタッフの方々この場を借りてお礼をお伝えしたく思います。素晴らしいスタッフでした。

 

それから、当日会場でフィリピンタクロバンへのカンパを募りました。その御報告をいたします。

 

カンパ(14254円)・グッズ(1880円)計16134円を、昨日、東京の城南信用金庫・渋谷支店・口座番号・414049.CATWALK事務局(藤原新也さんが設けた口座)に振り込みました。現地タクロバンでの、一滴の水になります。

 

カンパして下さった方々に心からの感謝をお伝えします。尚、当日差し上げた葱の味はいかがだったでしょうか、もし感想などおありでしたら、嬉しく思います。

 

わざわざこの企画のために本橋成一プロデューサーがきてくださいました。予算的に厳しい企画であることを、重々承知して下さっている本橋さんは我が家に泊まってくださいました。おかげで我が家族も含め、11年ぶり、楽しい時間を過ごすことができました。本橋成一様、この場を借りてお礼をお伝えします。

 

さて、関係者を含め45名で祝の島を見ました。トークタイムを設けて良かったとおもいます。あらためて、多様な受けとめ方をされていることで、今という時代が浮かび上がってくる、トークタイムとなりました。

 

私自身は、働くということと、命を紡いでゆくということの、淡々としたごく普通の当たり前のすごさを受けとめて、今後を生きてゆきたく糧としたく、思いを新たにしました。

 

まだ、一昨日の余韻が残っています。昨日からすぐ働きき始めました。映画の中の働く人々、肉体労働の島の人々が、今の私には何と言ってもかっこいいのです。あの方たちを、これからの晩年を生きる人生のお手本にしたいと考えている私です。

 

 

2013-11-23

サンナンの会社がネギをカンパ、F氏が一文を書いてくれました

植えたばかりのネギに水をまくF氏

サンナンのF氏がレイテ島、タクロバンにカンパして下さった方々のお礼に、自分がサンナンの葱をカンパすると言って私を感動させた上、葱の中に入れる一文も彼が書き、私をますます感動させた。いい意味で遊び心があるF氏である。

 

(わずかなスタッフではあるが、こういう社員が働いているサンナンという会社の未来は希望が持てる。私は彼の倍くらいの年齢だが、こと農業に関してはすべておそわっている。とにかく勉強熱心だし、向上心、好奇心はすごい。)

 

何かいい意味での意外性の連鎖が起こってきていて、自然な流れでこうなってきている。夕方専務のA氏が現れ、カンパのお礼の内実を知り、結果的にサンナンという会社で、そんなことならカンパするということになった。社員も素晴らしければ、上司も話の呑み込みが早い。

 

いよいよ明日は上映会、早い。夕方には本橋さんもやってきて、今夜は我が家に泊まる。昨夜から、将来我が家の息子になる、レイ君も弓道の大会のため、昨日今日と里帰りしていて、何かとにぎやかな我が家である。

 

忙中、今日も半日は仕事に出る。今日の午後から明日の午前中、一気に上映会の準備に追われることになる。妻も仕事をしているし、何かと慌ただしくはある。それでもべストを尽くしていれば、何事かのいいアイデアが湧いてくる、その波動は何とはなしに伝わる、共感する輪が緩やかに出来上がってくる。

 

そのことこそが、真の意味においてのイベントなのではないかと思う。皆各々が勝手にいきいきと主体的に動く。頼まれたからするのではなく、他者のためにおのれの能力を全開して関わる。

 

今回私を応援して下さる、ボランティアには新しい顔ぶれが多い。それが私には嬉しい。うまくは書けないが、私が少しでも変われば、おのずとスタッフも変わってくるということの証左である。

 

とにもかくにも、いい歳をしてウキウキ気分の私である。

 

2013-11-22

祝(ほうり)の島、上映会当日レイテ島タクロバンの被災地へのカンパのお礼にサンナンのネギを差し上げます

完全無農薬で見事なネギです

いよいよ明後日は、祝の島の上映会である。何人の方が足を運んでくださるだろうか、楽しみである。さて、昨日のブログで書いたように、レイテ島のタクロバンの被災地にカンパをして、いくばくかの寸志を当日会場で募りたく思います。

 

昨日、私が10月から働いているサンナンの職場で、若き上司のF氏と話をし、カンパをして下さった方にはサンナンが育てている葱をわずかですが、差し上げてもいいという話になりました。さすがに話が通じる。ますますサンナンで働きたくなりました。

 

一応、50束の葱を作る予定でいます。藤原さんの思いが私に伝わり、ささやかに何がしかのアクションを起こす、緩やかに眼には見えねど、このような連帯が、私はことのほか好きです。

 

この10日近く、葱の収穫と出荷で何かと忙しく、集客のPRがほとんどできないような個人的な情況です、このブログを呼んだ方々に友人知人へのお声かけをお願い致します。

 

今日はこれから、畑で葱を5人で植える予定です。ゆくゆくは機械で植えることになるのですが、今のところは手で植えてゆくのです。腰を曲げての作業が続くので大変な作業ではあるのですが、私は若き日、富良野で片道400メートルの畑で玉ねぎや、ニンジンの間引きをやった経験があるので、歳は喰いましたが大丈夫です。

 

農業は天候に左右されるので、なかなかに思うようには進みませんが、5人(女性2人)のチームワークがとてもいいので、仕事が和気あいあいと楽しく進みます。サンナンの農業の理念に、仕事は楽しくというフレーズを専務が掲げているので、私はそれを順守しています。

 

今植えている葱は来年の春に出荷します。この畑は開墾からやった畑なのでことのほかに愛着があるのです。企画をすることと、農業の仕事は基本的にまったく同じことのように私には思えます。農業と企画をすることと、シェイクスピアを読むことが、これからの晩年時間の3本柱になります。

 

基本は何事も、楽しく取り組む、これ以外に思いつきません。そういう利害なき仲間とこれからの時間を過ごしてゆければと思考する、私です。最後にタクロバンへのカンパどうかよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

2013-11-21

レイテ島タクロバンへの緊急支援をささやかにすることに決めました


藤原新也さんが信頼する女性からの、レイテ島・タクロバンの現地報告の文章とすさまじい写真を、今氏のWMで読み見た。

 

信頼する藤原さんが支援を求めているので、私も何がしかの小さなアクションを起こすことにした。今週の日曜日の祝の島上映会の当日に、会場でカンパを募ります。

 

私、家族はもちろんのことです。現地の佐藤千秋さんという方々の医療活動に使われます。この方々に送る口座を藤原さんが緊急に設けたので、わずかではあれ振り込むことにしました。

 

どうか、このブログを読み当日来られる方いらしたら、よろしくお願い致します。

 

タクロバンは、明らかに生き地獄の様相をていしています。一番足りないのは水とのことです。自分のこととして、考える想像力をわずかではあれ持ちたく思います。

 

私自身困った時に、助けてくださった方々のことは、けっして忘れることはありません。キリがないくらいに、地球は災害が起きやすい環境に突入しているような嫌な予感がします。一昔前の言葉ですが、ささやかに連帯し友人や知人の呼び掛けにこたえることを、せずにはいられない私です。

 

これから仕事に向かう前なのでゴメンナサイ。今朝は、写真をアップしている余裕がありません、これから畑に向かいます。

 

 

 

 

 

2013-11-20

畑に這いつくばりになりながら、流されながらも何をなしてゆくべきか考える

i頂いた宝のようなオロのアンケート

流されてゆく日々をなんとかしのいで生きながら、未曾有の情報汚染時代、数十年前から私が信頼している、藤原新也さんのキャットウオークだけは必ず読んでいる。私は氏のWM(会員2000人限定)の読者です。

 

20代の終わりころに初めて氏の本に触れてから、今に至るもかなりの影響を受けたし、いま現在も、年上の貴重な兄き的な存在のように、かってに個人的に感じている。わずかではあるが、私は直接数回東京にいるころ、勝手にお邪魔しお会いしたことがある。

 

本当に書いている文章と生き方に嘘がない、非常に珍しい方だとおもう。そして何よりも本質的に弱者に対して優しく、時代の表層の奥深くに切り込んで考察する視点は、新鮮でいろんなことを教わっている。流されやすい私にとっては、いつも座標軸のように、今現在も頼りにしている。

 

(おそらく、氏の本に出逢わなかったら、富良野に行くことはなかったかもしれない。まっとうに生きるということはどういうことなのかいまも考え続けている)

 

ミーハーな自分はいま持って変わらないが、ほんのわずかではあれ、昔よりは流されながらも、何かを考え続けてゆくことをあきらめなくなったのは、多分に氏の影響があるのではないかと思うし、生まれて初めて岩手の大槌町にボランティアに行ったのも、新也さんの行動力に自分も何かしら突き動かされたからだとおもう。

 

先ほど、ゆっくりと、このところの氏のトークを読んだのだが、いろんな視点、角度から様々なことを知らされて、つくづくWMの読者で良かったと痛感している。弱者や、少数者の側から考えることの大切さは、私の中にも育ってきていて、その延長の思考の中から、オロや祝の島の企画もうまれてきている。

 

もう2年前のことになる。311の数カ月後、銀座の画廊で藤原新也さんの・死ぬな生きろ・展が行われ私は日帰りで最終日に駆けつけ、48点の作品の最後に残っていた一枚を求めたのだが、その作品は我が家にある。階段の壁に掛けられていて、毎日対面している。

 

いつものように論旨にまとまりのない朝ブログ、こうも次から次に天変地異が起ると、何か気分がふわふわと落ち着かなくなりがちだが、こういう時こそ変な情報に惑わされずに、信頼できる方のアンテナの情報を持っていないと、何を信じたらいいのか本当に迷ってしまう。

 

新也さんの信頼できる方の当地からの情報では、水がとにかくたりないとの事なのでわたしもささやかに何かフィリピンのレイテ島、タクロバンの信じられない災害にたいして、何がしかのことをしたいと一庶民としておもう。

 

 

 

 

2013-11-19

オロ上映会の余韻がいまだ冷めやらぬ朝に思う

一段と鮮やかに咲く夜明け前のゼラニウム

日曜日、オロの上映会を終えることができました。この場を借りて、来てくださった方々に心からの感謝をお伝えします。ありがとうございました。

 

まだ上映会の余韻が、私の体には残っています。私はオロを昨年上京し、2回作品を見ました。今回自分の企画で3回見ましたが、3・11以後の私の中での変化のせいかもしれませんが、より深く作品を(来られた方々と共に見ることで)見ることができました。

 

関係者を除いて、35名の方が足を運んでくださいました。オリエント美術館の地下がO氏のおかげでミニの感じのいい映画館に生まれ変わりました。贅沢で豊かな時間でした。

 

映画は映画館で、そこに居合わせた他者と共に観るということのたいせつさ、それから上映後にわずかな時間ではありますが、たまたま居合わせた方々と映画の感想を語り合うということで、なんと一人一人が思いおもいに作品を受けとめているのかということを知りました。

 

撮影監督の津村和比古さんが来てくださって、来場者とトークができたこと、そのことがやはり一番よかったと思っています。わずかな情報をキャッチして来られた方々は、これまでの私の企画では、お目にかかれないような雰囲気の方々ばかりで、チベットの亡命少年のフィルムを皆さん真摯に受け止められていました。

 

私自身も3回見て、あらためて学び感じいるところがありました。私は健気に、つましく涙をこらえて、生きている人間にことのほか惹かれます。それが私の中には、はなはだかけているという、自己認識があるのです。

 

オロをはじめ、このフィルムにえがかれている人びとの、あるいは民族の気の遠くなるような困難は、想像を絶するものです。でも10歳のオロをはじめ、あの状況下でのあの明るさ、人と人とのなんとも言えない繋がり感、暖かさは奈変に由来するのでしょう。

 

その謎が、企画者(部分の)のわたしを揺さぶるのです。もっと書くなら、今を生きる私自信の心を企画することで洗い流し、少しでも彼らの持つ豊かな精神世界の方に近づいてゆきたいという気持ちが61歳の今、起こってきています。

 

生きてゆく勇気希望を、オロは今後もずっと私の中に灯し続けるでしょう。岩佐寿弥監督のご冥福を祈ります。

 

 

2013-11-17

11月17日・オロ上映会の日の朝に思う

お気に入りの明り

このひと月半、動ける元気な時間はほとんど農業に従事していましたので、これまで企画してきた中で、もっともPRをすることが叶わなかったのが今回の上映会の企画です。でも今私はささやかな喜びに包まれています。

 

私が岡山にやってきて出逢った大切な方がたには、ほとんど通知案内は出すことができましたし、今回はその方々のために企画したとも言えるので、私としては、上映会ができるだけで、ある種の達成感があるのです。

 

自己満足なのかもしれませんが、自分自身が何がしかの、幸福感のようなものに、包まれていないとなかなかに、お節介的な企画はできません。

 

それでも、新聞などで知った方から、問い合わせがありますので、量ではなく新しい観客との出会いが、オロや祝の島を通じて起こることは、企画者として、なんとも嬉しい喜びです。この感動や喜びが、私をして22年間も企画をさせつづけているのだと思います。

 

この22年間にお世話になった方に会える喜び、津村さんや、本橋さんに会える喜び、家族が受付をしてくれる喜び。そして、働き始めたばかりの職場で出逢ったばかりの、専務のA氏、サンナンの農業部門を支える若きF氏、同期のN氏もきてくださいます。

 

還暦を過ぎ、ようやっと企画を続けてきたからこそ感じる、豊かさの原点回帰世界に、私はいよいよ向かい始めているのを感じ始めています。地に足のついた他者を心から思いやれる人間関係の構築。

 

昨日の挨拶文には、余白の都合で書きませんでしたが、岡山映画祭など地道な取り組みをされ続けているO氏が、全面的に映写に関して協力して下さるのも大きな喜びです。

 

61歳にして思います。人は何故生きているのかという私なりの現時点での答えが、今回の上映会にはあるのです。ヒトはやはりヒトとの間に緩やかな絆が(わかりあえる、あえないというようなことではなく、思いやる)必要です。

 

しかしそれは、苦しい努力では、けっして見つけられないのではないかと思います。苦楽を共にする仲間が、私には必要です。

 

 

2013-11-16

明日と来週の上映会のための一文を何とか書くことができました


【オロ】&【祝の島】上映会に来てくださった皆様へ

                               

いきなりはなはだ個人的なことですが、私は五十鈴川だより、というブログを退職後書き始め、退職前から書いていた、囲炉裏通信も含め4年間、毎日ではないにせよ、よたよたと書きつづけています。(オロと祝の島に関しても、何回かを綴っておりますので読んでもらえるとうれしいです)

 

この4年間は個人的にも世の中も、ひたすら混迷の難局の時代と嫌でも向かい合って生きてゆかざるを得ない切迫した情況(人類の曲がり角)が続いている気がします。そんな最中のチェルノブイリ以来の、3・11原発事故をともなった東日本大震災は、私ごときの凡夫にも何がしかの影響を与え続けています。(フィリピンレイテ島の台風災害も)

 

オロと祝の島の2本のフィルムを、今、何故企画するのかは、お二人とも私の先輩であり、大切な友人(と呼ばせて頂きます)津村和比古さんと、本橋成一さんが心血を注いで映画創りに参加されているからです。このような写真映画を創る友人に、我が一回限りの人生で巡り合えたことへの感謝。

 

それから、61歳の今を生きる私にとって私が忘れていた、あるいは私が知らなかった、人間が真の意味で、大切な生きることの、普遍的根本の叡智・尊厳が、静かに写真に籠められているからです。(大きな権力・理不尽な暴力が弱い他者の生活や文化を根こそぎ奪うおぞましさも含めて)

 

オロと祝の島に映る人々の顔は、私が小さいころの、懐かしい原風景の日本人の顔、すでにあの世に逝かれた、ごく普通の当時の戦後のつましい暮らしを余儀なくされていた、明治生まれの祖父や祖母また、近所で出逢ったごく普通の人々のことを呼び覚ましました。

 

あれから半世紀以上の時が流れ、私はようやく人生の晩年に差しかかる季節に、この2本のフィルムに巡り合う幸運を得ました、それも宝石のような友人たちが創ったフィルムに。

 

そして今、稲穂が実り大地にひれ伏し頭を垂れるように、私もようやく何かに向かって頭を垂れたくなる、自分をかすかに感じています。希望の無い人生は無意味に思える私です。他者の困窮に対して、寄り添い、眼をそむけてはならないと思います。

 

今も、世界各地で行われている他者の人生を無意味化し、おびただしい流血・犠牲の上に築かれた、繁栄や栄華は砂上の楼閣のように私には感じられます。

 

日高奉文(ともふみ)20131116日(土)真夜中・記。

今朝のブログは、私の個人的な企画が明日と来週の24日連続して行われる上映会のために書いた一文です。

 

昨日、雨の中2時間くらい葱を畑で、同期のN氏と収穫しました。今日は御休みの予定でしたが、なんとか上映会の文章がかけたので、これから仕事に半日でかけることにしました。サンナンのホープF氏は忙しいのに、明日の上映会にきてくださるし、専務も超多忙のなか、わざわざ足を運んでくださるので、私も時間の許す限り、お役に立ちたいのです。

 

津村さんも、本橋さんも、わざわざ上映会のために東京から駆けつけてくださいます。自分のためであり、それがまた他者のためでもある、そのような大切な関係性が、利害なく成立するような、小さき間接的(ときに直接的)コミュニティを紡ぎたくなってきた私です。

 
昨年2月、宮城でみた風景

2013-11-15

柿の木を植えて、可能性の希望も自分の中に植え付ける


 
サンナンの農業部門を支える若きF氏の後ろ姿

怪我の私を含め、季節の移ろいの中、風邪で体調を崩していた娘や妻が、なんとか回復し、昨夜はサンナンの葱をふんだんに使った、葱鍋を妻がつくってくれ、いろんな意味で温かい夕食タイムを過すことができた。

 

それにしても、フィリピンの空前絶後の台風被害の映像には胸がふさがれる。お茶の間に流れる映像でこれだけだから、現地の実態は想像するだに、すごいに違いない。そんな中でも、赤ちゃんが生まれてきている、亡くなってゆく赤ちゃんもいる。

 

生まれゆく時、亡くなってゆく時、なんとも運命的不条理に対して、私は言葉を控える。つましくも、家族で温かい鍋を、仕事をした一日の終わり、食することの恵みに関して、素直に謙虚に感謝する位のことしかできない。

 

話題を変える。先日サンナンの畑のそばに、妻にプレゼントされた西条柿の苗を移植した。実をつけるのは数年先のことになるだろう。だがよしんば自分がその柿を食べられなくても、いつの日にか、誰かの悦びになれば、今後も可能ならいろんな果樹を植えてみたい。

 

植えれば何がしかのことが起こる。アクションを起こすのが、アクターだろうと考える。

 

先ずはたった一本の柿の木くらいからしか植えられないが、土地がないので我が家には植えられない。土地さえあればいろんな野菜や果樹が手の届く範囲で植えられる、ということの幸せを噛みしめる最近の私だ。

 

101日の、開墾から始めた畑地がようやく葱を植えられるくらいの畑になり、来年の春には収穫する予定の葱を、ゆっくりと手作業(女性二人で)で植え付けてゆく地味な仕事が始まりました。私は、昨日は午後一人で日が沈むまで、トラクターで畑をひきました。

 

仕事を終えるころ真っ赤な日が沈み、と同時にかなりまるくなったお月さまが姿を現しました。かなり広い開墾から始めた畑をトラクターで土をひいて細かくしていると、あの荒れ地がこんなにもきれいな畑に生まれ変わったことに、始めからかかわった者として、ささやかに、感動を覚えます。

 

何事も全てはゆっくりとしか進まないと痛感します。急ぐとつまずく、ゆっくり進む者だけが遠くまで行ける、気骨が身体全体から醸し出されていた城山三郎さんの本で知った言葉だ。