ページ

2013-11-19

オロ上映会の余韻がいまだ冷めやらぬ朝に思う

一段と鮮やかに咲く夜明け前のゼラニウム

日曜日、オロの上映会を終えることができました。この場を借りて、来てくださった方々に心からの感謝をお伝えします。ありがとうございました。

 

まだ上映会の余韻が、私の体には残っています。私はオロを昨年上京し、2回作品を見ました。今回自分の企画で3回見ましたが、3・11以後の私の中での変化のせいかもしれませんが、より深く作品を(来られた方々と共に見ることで)見ることができました。

 

関係者を除いて、35名の方が足を運んでくださいました。オリエント美術館の地下がO氏のおかげでミニの感じのいい映画館に生まれ変わりました。贅沢で豊かな時間でした。

 

映画は映画館で、そこに居合わせた他者と共に観るということのたいせつさ、それから上映後にわずかな時間ではありますが、たまたま居合わせた方々と映画の感想を語り合うということで、なんと一人一人が思いおもいに作品を受けとめているのかということを知りました。

 

撮影監督の津村和比古さんが来てくださって、来場者とトークができたこと、そのことがやはり一番よかったと思っています。わずかな情報をキャッチして来られた方々は、これまでの私の企画では、お目にかかれないような雰囲気の方々ばかりで、チベットの亡命少年のフィルムを皆さん真摯に受け止められていました。

 

私自身も3回見て、あらためて学び感じいるところがありました。私は健気に、つましく涙をこらえて、生きている人間にことのほか惹かれます。それが私の中には、はなはだかけているという、自己認識があるのです。

 

オロをはじめ、このフィルムにえがかれている人びとの、あるいは民族の気の遠くなるような困難は、想像を絶するものです。でも10歳のオロをはじめ、あの状況下でのあの明るさ、人と人とのなんとも言えない繋がり感、暖かさは奈変に由来するのでしょう。

 

その謎が、企画者(部分の)のわたしを揺さぶるのです。もっと書くなら、今を生きる私自信の心を企画することで洗い流し、少しでも彼らの持つ豊かな精神世界の方に近づいてゆきたいという気持ちが61歳の今、起こってきています。

 

生きてゆく勇気希望を、オロは今後もずっと私の中に灯し続けるでしょう。岩佐寿弥監督のご冥福を祈ります。

 

 

0 件のコメント:

コメントを投稿