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2013-04-29

杉浦日向子さんの遺した宝石のような言葉



意味もないよしなしごとを綴れる時間が、なんとも幸せに感じられるということはありがたいことだと、またいつものような書き出しでの、マイブログです。

 

4日もブログを書いていなかったのは、何とはなしに書くこともなかったということではなく、書かなくても書く以上の事に時間を費やしていたからです。私ごときのブログでも、心身が健やかで、落ち着いていないとなかなかに文章は生まれないのです。

 

一昨日から、妻が10連休のGWに入り、妻との時間を過すことにしています。妻は仕事を持っていますから、普段出来ないことをGWにあれやこれややろうとしていますので、私も可能な限り共に行動しているのです。

 

彼女にとっての娘とも言える愛犬メルとの遠出のお散歩に、昨日近くの公園と小高い山寺にいったのですが、車で10分位のところにこんな素敵なところがあるのだということを、住んで21年にもなるのに、知らなかった自分に驚きました。

 

住んでいるところの近くを、妻とメルと3人で探訪する時間が、ようやく我が人生にやってきたのだとあらためて感じました。我が家の近くを流れる砂川の上流は自転車でサイクリングするには最高の道なので、普段もこれは私の個人的な散歩コースにしようと決めました。

 

心と体がいきいきと動くためには、何よりも好奇心が大切です。シャレではなく、シェイクスピアを翻訳する駄洒落の名人小田島先生は(私はこの方に文学座で習った)好奇心は高貴心、だなどとおっしゃっていました。

 

ところで話は変わり、私の好きな(わずかしか読んだことがないのですが、繰り返し読みたくなり惹かれる、2005年、46歳の若さで逝去された)杉浦日向子さんの遺した宝石のような言葉を編んだ本を、寝る前にこのところ手にしているのだが、素晴らしい。

 

多々耳が痛くなり、そうだよなあ、と芯からうなずく61歳の自分がいる。私にとっては宝石のような言葉が満ちている。よくぞこんな素敵な言葉を残してくれました、しかとその言葉噛みしめたく存じます。これからまた一つやりたいことが増えた、言葉を筆で書く時間を持つということはすでに触れたが、何としても彼女のなんとも粋な言葉を、書きたくなった。

 

粋に隠居し、どっこいしぶとく、風情風流に企画し、遊声塾も、一も二もなく現代からは遠く離れた私塾を、自信を持ってやりたくなった。

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