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2013-04-07

4月7日春の嵐の朝に思う



春の嵐のような雨音で眼が覚めたので、なんとはなしにいつもよりも早くええいとばかりに起きて、昨夜風呂に入りそびれたので湯沸かしボタンを押し、(便利過ぎ)湯が温まるまでの間、談志落語をUチューブで聴き、さっぱりした心持で雨音を聴きながらブログを書いています。

 

私は立川談志のファンという次元ではなく、というより落語(あらゆる日本文化も含めて)というものをそんなに深くは知らないのだが、言動、あんなしゃべり方をする人を他に知らないというのか、あらゆる意味で独特の雰囲気を醸し出しているという意味で、落語家という一言ではくくれない、型破りなヒト(私を含めた今の日本人に痛烈な言葉を放つ)という意味で、傑出して面白いのだ。

 

痛快無比の人、と言っていいと思う。お亡くなりになったがもうこういう人は出てこないと思う。分野は違うが桃山晴衣さんもそうだ。だがありがたいことに記録としての本や、映像、音源は残っているので、それをあらためて知るということは出来るという意味においては、有難いというと、おもう。

 

これからの人生の時間を生き直す、可能な限りの楽しみ方の一つに、先人たちの遺した仕事を先ずは知るとういうことが、私の場合はあります、まだ始まったばかりとはいえ時間をある程度思いのままに過せるということが、なにより嬉しいのです。時間に縛られず、余裕をもって事に当たれるという幸せは、たとえようもありません。

 

立川談志さんの本、古典落語を世界も知りたいし、何事においても私は全てにおいて気づくということが遅い人生を歩んできたので、年齢のことはしばし忘れて独学してゆきたいし、似たような感性の持ち主とは、共学もしてみたいと思うのです。土取さんも落語が好きですが、笑うということは人間に与えられている、得難い特質であるというのが私の認識です。

 

なにはなくとも、江戸の庶民が声を出して大笑いしながら、金はなくとも生きることを前向きに楽しんでいた、心意気のようなものを私自身これからの生活の中で取り戻しいたいのです。ヒダカトモフミのシェイクスピア遊声塾は、心と体にユーモアを吹き込む塾を目指します。おそらく談志師匠は灰燼に帰した、焼跡で少年期を過されたと思いますが、そのような環境で体一つの強靭な芸を築かれたのだと思います。

 

つくづく思うのですが、豊かに学ぶためには何が必要なのかを。プロジェクトEMPTEYSPACEはささやかに、考え続けたく思います。

 
帰省の旅で見つけたお花畑


 

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