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2013-04-02

青年は荒野を目指し、中高年は故郷を目指す



一日一日をどのように生きればいいのかということに関しては、50代に入ってから私なりに意識して生きることを努めて心かけてきたからなのだと思いますが、決まった仕事が無くなったとはいえ、自分の仕事(限りなくお金を生み出すことは、難しい仕事ではありますが)は変わりなく続きます。

 

ただ自分の仕事だけに集中できるということは、たとえようもない嬉しさです。自由に思いのままに自分の時間を生きることができるというのは、格別です。

 

危険な綱渡りのような気もしますが、そのようなことも生きていれば可能なわけですから、その狭き門を、なんとかくぐりぬけるべく、一日一日を大切に可能な限り自分なりの規則を作り、そのリズムを基本に生活してゆきます。起床時間もこれまで通りです。

 

今後も週に4日くらいは、ブログを書きながら、生活を見つめ心身を整え、今を生きるという繰り返しの日々の中に、何かしら普遍的な心躍る瞬間というものを、探し続けられたらと、願わずにはいられません。

 

さて、完全フリーを伝えに両親のお墓参りに明日から帰ることにしました。23日、頭をからっぽにしてきます。あとどれくらいのことが自分の人生でやれるのかは皆目見当もつきませんが、散々心配しながら私を育ててくれた両親に先ずは御報告をし、娘の旅立ちも伝えます。

 

昨日も書きましたが、これを済ませないとなにやら落ち着いて、再出発できないのです。変わり果てた故郷とはいえ、私にとっては兄や姉がささやかに、お墓を守って穏やかに暮らしています。もうみんな60代で年々これから高齢化してゆくわけですが、お互い元気なうちに会って、いろんな話もしておきたいという気持ちが私の中に年々湧いてきています。

 

歳と共に、幼少期のことを思い出すというのはどういうわけなのでしょう。とくに私の場合その傾向が強く、世界を旅したりしたいのは、幼いころの原風景に還りたいという思いがほとんどのような気さえしています。アスファルトやビルディングの無い村とか、土の煙が舞い上がるような曲がりくねった路に、私は限りなく惹かれます。

 

それときれいな水の流れる川、原点の五十鈴川のほとりにたたずむこと。これだけは動ける間はなんとしても、との思いです。

 

 

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