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2013-01-15

昨年末23年ぶりに第五福竜丸を見にゆきました


いろんな思いが湧いてきました

昨年暮れ、上京した折、木場から歩いて10分くらいのところにある夢の島の、第五福竜丸が展示してある博物館を、23年ぶりくらいに(以前東京に暮らしていたときに行ったことがある)訪ねました。

友人と二人で、開館してすぐ位の時間帯だったのですが、年末でもあり我々以外には数人くらいの来館者しかいませんでした。今世界では、ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ、というくらいなのですが、核問題ということに関して、私も含めてですが、あまりに深く考えるということを放棄してきたのではないかという、私の中での自責の念が以前にもまして起きつつあります。

それは大多数の私も含めた、一般庶民が生きることに忙しく、考えても仕方がないと言うほうの側に、追いやられているという現実もあるのですが、還暦を迎えてようやく、少しはゆったりと物事を深く考える時間が訪れようとしている今、これからの人生の時間を考えた時に、自分が本当にやりたいこと、または今だからやれることを、静かに自問自答した時に、自分には荷が重いということは、重々承知しながらも、避けられない問題がやはり、一個人として核の問題という気がします。

私がまだ2歳くらいの時に、南太平洋のそれは美しいビキニ岩礁付近で、日本のマグロ漁船第五福竜丸が、アメリカの核実験により死の灰を浴び、その後乗組員の方々が悲惨な人生をたどられた、歴史的事件の詳細を常識的な範囲であれ、いかほどの日本人が認識しているでしょうか。

あんなきれいな海で、先祖から穏やかに暮らしている人がいる中で、米国はかってにヒロシマの放射能の1000倍とも言われる、水爆実験を行ったのです。もし日本のマグロ漁船が被爆しなかったら、日本のマスコミではほとんど報道されなかったかもしれません。

西アフリカのマリ共和国が(マリの音楽家を夢が原でやったので、マリと聞くだけで眼がゆく)大変なことになっていることをM新聞で知りました。大国の利害、国益が私たちの預かり知らない所で行われているというおぞましき現実。シリアのドキュメントも見ましたが、正視できないほどでした。(眼をそらしていると、それはやがて我が身に及ぶというのは有名な亡くなった女性詩人の言葉、きちんとした名前が思い出せない)

フクシマの原発事故放射能汚染地区に住めなくなっている方々は、原発反対どころではなくとにかく生活しなければならない。ごく普通に暮らせるまでに、人知では及びもつかない途方もない時間が必要な放射能汚染は、まさに悪魔の物質というしかない、危険極まりないものです。もし自分がそのような境遇に置かれたら、というごく普通の感覚を忘れたくはないものです。

ごく普通に生活できる私なんかは、もっといろんなことを学び考え、発言すべきだと考えます。還暦以後はまったく一個人に還り、思うことはこのブログで発言します。そしてお金はなくても知恵を絞り、還暦おじさんとしての企画をささやかにやりたく思います。

娘たち(あらゆる人類の)の暮らしの未来にたいして、この年まで生きられたものとしては、何がしかの責任があると思います。各々その人らしい、あらゆる表現活動が出来ると思います。(そんなことが自由にできる国はそんなにはないのではないかと思います)私もなんとか生活する方法を見出しながら、何が私にできるかをこの冬の寒さの中で、知恵を絞り、そしてこのブログを開いてくださる方と共に考えたく思います。

訳知り顔の意見よりも、表に現してのアクションが必要だと思います。深刻な命題・テーマであればあるほど、ユーモアを忘れず。






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