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2013-01-10

娘の婚約に思うお正月


娘と結婚したいと、レイ君の口から聞いて5日目の朝である。やはりじわじわと実感ということではなく、自分の中に何がしかの変化が緩やかに起こっているのを感じている。

 

それは、やはり嬉しさと、一抹のさみしさと、微妙に入り混じった複雑な感情なのである。

 

やがて行われる娘の結婚は、近い将来私に、孫ができる可能性が出てきたということでもあり、そのことが、何かこれまでとはまるで異なる感覚が、私の中に生まれてくるような気配をいくばくか、感じ始めたのである。

 

37歳で父親になった時、(父親にしてもらった)何としても育てなければ、そのためにはどんな仕事でもして、と考えたことを昨日のことのように思いだす。やがて70過ぎたらゆっくり書けるようには思いますが、20代、演劇青年時代を生きて、志していた私は、生活的になんとも不安定な生き方を選択せざるを得ない暮らしを長年にわたってしていましたが、そんな渦中の私を救ってくれたのが、現在の妻なのです。

 

妻との暮らしの中で誕生した(巡り合った)娘は、根本的に私の暮らしを変えました。一ことでいえば、もう演劇なんかどうでもいいと思えるくらいに、その天真爛漫さは、出口の見えない長いトンネルの中を生きていた私に、まさに劇的に私の生活の中に光を運びこんできたのです。噴き上げるように元気が出て、責任感が生まれました。

 

妻と私の3人での世田谷の団地での暮らしは(丸2年半)、今考えると穏やかな静かな暮らしで誰にも知られず、夢のようでした。久我山の寺町にある団地で、周りの環境は抜群、親子でよくその寺町を散歩しました。娘の誕生は、まさに私を現実世界に引きずりおろし、どんなにささやかでもいいから、親子3人しっかり生きてゆくという覚悟を、遅まきながら私に植え付けたのです。

 

おそらく、娘が生まれなかったら岡山に移住することはなかったでしょう。またたく間に21年間が走馬灯のように過ぎ去り、私に光をもたらした娘が結婚するというのです。親ばか丸出しを承知の上で、ささやかに私は感無量なのです。

 

そして、しみじみ思うのです、命の連鎖の光と影を。悠久の時間の流れの中で、休むことなく繰り返されるあらゆる生と死。生かされていることの妙。

 

お正月を健康に迎えられる、家族と共に。世界中の大多数の人がそんな平凡を心から感謝して生きていると思います。何よりもこのような喜びの感情をお正月から与えてくれた娘とレイ君に、幸あれと祈らずにはいられません。

 

 

 

 

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