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2012-09-27

秋爛漫の季節の到来のなか、チケットを夫婦で作る

20年、立派な実をつけ始めた夢が原の栗の木

三日月から半月、徐々に月が満月になるのを眺めながら駅から我が家まで歩くのは、私の本当にささやかな楽しみに一つだ。月と太陽はほんとうに私と繋がっているのを感じさせてくれる、私の大好きな秋である。

 

夏だとこうはいかない、涼しくなってきたからこそ、そのような気分になれる。正直夏の疲れが、まだ抜けないまま秋に突入、円通寺の土取さんの邦楽番外地に向かっている。

 

何かを企画すると、ほんとうに時間は流れるように過ぎてゆくのを、私の身体は知っている。だから、この20年間というものは、まさに流れるように過ぎて行ったというのが、実感である。別のいい方をすれば、何かを企画していないと、精神的にバランスがとれないような時代を(だから今も)、自分を生きている。という自覚が強烈に私のどこかにあるのだ。

 

妻は、私の身体を案じてくれる、が、企画していなかったら、どこか自分は調子が狂うような気がするのである。無理をしてしまうほどの、何かが私をしてつき動かすのだと思う。それは苦しい無理ではない。一本の企画を終えるまでは、かなりの時間を必要とするわけだけれども、20年以上、情熱を注ぎこんできたおかげで、還暦でようやっと新しい地平に立てたような、心もちの私なのです。

 

ところで、今回も手書きのチケットを書くつもりでしたが、見かねた妻が(彼女は私にとっては、実に有能な人です)、何とパソコンであっという間に、チケットを作って(貴重な休日に)くれました。それから、来年から日高事務所の出納係をやってくれるというのです。この半年の私の姿を見ていて、哀れに思ってくれたのかもそれません。

 

身内で、影のように支えてくれている妻が、本格的な来年からの日高事務所の金銭的なことの管理をしてくれるというのは、芸人企画者として、再出発しようとする私にとって、これほど心強いことはありません。

 

生命を生み出せない男()という存在は、どこかで幻想を追い、観念的に遊ぶことで、自分という存在を支えているのかもしれないという気が、どこかでします。私の妻は、私にとっては、いまだ謎のような存在です。だから共に暮らして、26年、つかず離れずひとつ屋根の下で暮らしてきたのだと思えます。

 

妻のことは、70過ぎたら、いずれゆっくりかくことがあれば、と思う今です。ともあれ、今日はお休み、チケットを作り、日高事務所の仕事に専念します。

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