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2012-09-23

芸人企画者としての覚悟を問い続けたく思います

先生が最もお好きだった遊ぶという文字、万文の分の一でも。

経済的な意味で、お金によりかからず、貧しい充実ということがあるものなら、それを可能な限り実践、生きてみようというのが、私が夢が原を辞める時にきめた、ささやかな決意である。

 

そもそもお金というものが、人間の生活を幸福にしてくれるものなのか、否かということについての、思考が、私の中でこれまであまりにしてこなかった反省が、還暦を機に私の中で大きくなってきたのだ。

 

安定した収入がなくても、芸術家や芸人という生き方を選択するしかなった(もちろんそれ以外にも、いろんな職業の)、あまたのこれまでの、歴史の上に存在する人々のことを最近しきりに、考え、想うようになってきた、できるようになってきた。ボーっと思いをはせる余裕時間がようやっと、私の人生に訪れつつあるのだ。

 

社会に出て何とか42年生きたのちに訪れてきた、この喜びは、やはり私自身にしかわからないある種の感情だと思う。この20年間も企画とささやかに年に数回のちいさな未知の旅ができれば、なにもいらない、というくらいに妻と共につましく暮らしながら子育てをしてきた。

 

その子供たちも、ほぼ自立の時を迎え、いよいよ本格的に夫婦の時間がはじまる、人生の時を迎えようとしている。

 

23日真夜中、眼が覚めたので、ぼんやりパソコンを開いていたら、何かを綴りたくなる。この何とも言えない静けさのなかでの、穏やかな時の流れを、ある種の幸福感を持って過せるというのは、しみじみとありがたいことだと思う。

 

あとひと月で、ブログを書きはじめて3年になる。毎日書いているわけではないが、熱しやすく冷めやすいという、極めて日本人らしい性格を持っている私としては、自己満足的ですがよく続けてきたものだと思いますし、いまでは、考えていることを見つめ、煮詰め、整理し、文章化することは、生活の一部になりました。

 

なにも書くことが、浮かばない時には過去にさかのぼって、自分が書いたものをときおり読んだりも最近はするのですが、こんなことを書いていたのだと、驚いたりもします。

 

自分という存在は、この3年でもかなり変化しているということに気づかされるのです。芸人企画者の未知(路)を、これからしばらくは勇気を持って右往左往したく思います。

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