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2023-09-23

上京旅第2回、十数年ぶりH・A子さんに会い、ギャラリーふくろうハウスと再会、Hさん宅に泊まり想う。

 前回の上京旅、

ギャラリーふくろうハウス
時熟、という言葉があるのをこの歳になって知ったが、親友と二人で、16日土曜日夕刻、十数年ぶりに千葉県の内房上総湊に住んでいる、どうしても元気なうちに会っておかねばならない人を訪ねて、東京駅発のバスで東京湾を横断し、再会一晩泊まった。記憶が鮮明なうちに少しでも打っておきたい。

今は、上総湊の東京湾が一目で見渡せる眺めのいい3階建てのかなりの広さの家に、H・A子さんは十数年前ご主人をなくされてから、お一人ですんでいる。この方との出会いのつれずれはまた折おり打つが、今回は事実としての訪問を五十鈴川だよりにわずかにではあれ記したい。

H・A子さん、今は上総湊に住んでいるが、出会った頃は浜金谷のフェリー乗り場から、歩いて行ける距離の山小屋風の家に、当時まだお元気だったご主人とお二人で住んでいた。出会ったのは、私が富良野熟を卒塾したばかりで、今の妻と出会う前である。私が33歳、38年前のことである。

当時、単身これからいかに生きてゆけばいいのか途方にくれていた私は、後半の人生の再出発、仕切り直しのために富良野で学んだことをいかして、親友と(仲間十数人に声をかけ)小さい丸太小屋(12畳、中二階が寝室)を建てたいとおもい土地探しをしていたのだが、たまたま夕刻、車一台通るのがやっとという細い道を歩いていて出会ったのが、Hさんご夫妻だった。

妻と出会う前のことである、まさに運命的なご夫妻との出会いが、思えば私を決定的に変えたのだと、今にして思えば言えると思う。はしょるが、出会ったその日に意気投合、親友と私は我々の思いを伝え、なんとあったばかりなのに夕飯をごちそうになり、その日泊まったのである。ご夫妻の芸術家としか言えない暮らしぶりに私はすっかり参ってしまった。今は亡きご主人が世俗を超越したような、まさにふくろうを彷彿とさせる雰囲気の持ち主で、我々を歓待しもてなしてくれたくれたこと、未だ記憶に鮮明である。

ご夫妻は我々が本気でやるなら、全面的に手伝うとおっしゃってくださり、土地探しから完成までおおよそ一年かけて、結果カサ・デ・マルターラ(白い家)が完成したのである。毎週末東京から三浦半島から出ているフェリーで通って完成にこぎつけたのだが、何かにとりつかれたかのように情熱のあらんかぎりを振り絞った出来事が今にして思えば夢のようである。

丸太小屋が完成する頃、妻と巡り会うのだが、岡山に移住するまで、丸太小屋は私にとって魂の安息所となり、結婚、長女が生まれ、またもや私の人生は大きく展開する。丸太小屋にはゆけなくなるが、丸太小屋が後半の人生を乗りきってゆく大いなる自信を私に与えてくれたことは間違いない。その後Hさんが献身的に丸太小屋の維持管理をしてくださり、解体して上総湊の現在のHさんの住まいのすぐそばに移築、ギャラリーふくろうハウスとして蘇り現在に至るのである。

時熟再燃、私、親友とHさん3人、一晩思い出に話がつきることはなかった。心から出掛けてよかった。岡山に移住し31年、H・I子さんはまったく変わっていなかった。年月を重ね彼女の芸術家人生は枝葉を広げ深まり、流木アートの作品群が、一階のアトリエに静かにたたずんでいた。

そして思う。この歳になり、あらゆる俗世のしがらみから解放され、私は心からHさんや、これまでの人生で出会えたかけがえのないかたがたとの、再会交遊時間をこそ、許される限り大切に生きることを確認し、上総湊をあとにした。


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