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2023-09-30

友人から秋の味覚梨が届き、お礼のお便りをしたためカボスと共に郵送、そして想う。

 一昨日栃木にすむ友人I氏から立派な梨が送られてきた。氏と出会ったのは、今は昔の富良野である。私が31才、氏は当時北大の学生であった。志を果たし獣医になられ今は栃木で働いている。あれからすでに40年の歳月が流れ、氏と私は性格も世代もまるで異なるのだが、どういう訳か関係性が途切れることのなく、いまだに君子の淡い交遊が持続している。会う機会は滅多にない。だが、わたしにとっては青春の終わりに出会った大切な友人の一人である。

あまりの博学、前向きさに感動する

まったく利害が伴わない関係性こそがわたしにとって大事である。大事な友人であるからこそ、深入りしない程度に君子の交遊を大切にしている。お返しに、ささやかに我が家のかぼすを昨日妻が収穫したので、一文を添えて送ることにした。こういうことでもないと、短い一文を添え、手書きで書くという営為は、現代人生活からは久しく失われてゆく。私だって例外ではない

私は時代の流れに当の昔に置いてきぼりにされているのは自覚している。デジタルライフも、必要最小限にとどめて、結果的にまるで時代に抗うかのように、手間隙のかかることを人生時間が少なくなるにつれ、あえて楽しんでやっている、

昨日珍しく10才年上の姉から電話をもらった。人生ではじめて足を手術し入院先からであった。声の調子が明るい。手術がうまくいって、入院先の食事が美味しく、嫁いでから毎食作ってもらって初めて極楽気分で過ごしていられる嬉しさが、ビンビン電話から伝わってきた。

姉は私以上にアナログ人間であるから、姉にも久しぶりにお便りを出そうと思っている。手間暇を惜しむのではなく、手間隙かけることを楽しむくらいの余裕生活こそが、今後ますます私が望むところなのである。ゆっくり丁寧に骨折しないように注意深くいきるのである。老いては義理を欠きわがままに、しかし大切な方はとことん大切に想う、このセンスは失いたくない。

掃除や炊事他、生きている限りは動き生活しなければならない。ならばとことん生活を面白がって生きることにシフトする覚悟なのである。さて、いただいた梨、妻と私で半分いただき、お裾分けすることにし、沖縄のK夫妻に昨日送った。もちろん短いを一文添えて。一文は万年筆で書く。何回か打っているが、私は万年筆が好きで5本持っているが、ふだん使用するのは安い万年筆、で十分である。

長じて人から筆、万年筆であれ書くことに関して習った記憶がない。ついでに文章を書くことも習ったことがない。本を読むことが好きになり、気がついたら文章も自然と、文法は滅茶苦茶だが打てる(書ける)ようになっていた。書きたい相手、読みたい本があれば、書けるし読める。要は情動が動くか動かないか、古希を過ぎたらうまい下手ではなく、からだが喜ぶか喜ばないかである。そこのところを芯に据え文字を書く(書ける)喜びを見つけたい。

指紋のように、自分らしい文字や一文がお便りという感じで、大事な友人や知人に書けるようになれると楽しいので、いよいよこれからはお便りを出したくなるような友人知人との関係性を深めながら、手で文字を書き一文を綴りたいわたしである。



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