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2021-12-26

師走の朝日を浴びる今朝の五十鈴川だより。

 今日も打ちます五十鈴川だより。今日は長女の夫レイさんと 最初の孫、望晃くん(3歳9か月)が午後帰ってくる。だからそこはかとなくうれしい。今私がパソコンを打っている2階の一番日の当たる部屋は彼らが使うので、しばし本来の私の書斎である狭い部屋で明日からは、すごすことになる。

昨年までは存在していなかった葉君も明日は帰ってくる し、いったいどのようなお正月になるのか、いずれにせよにぎやかなお正月になるのは確実なので愉しみである。

とはいうものの、暗い話題の世相を照らすかのような報道が多いさなか、事わが家族に至っては明るい話題が、このように 能天気に打てることがあり難いとは思うものの、私のような能天気に生きていられる環境には程遠い暮らしを余儀なくされた、あるいは余技なくされている多くの方々のことを勘案するときに、しばし打つのをためらうことがあるということも打っておく。

とくにこのコロナ下のこの2年間は、いうに言えないような私の想像の及ばない切迫した状況下を生きておられる方が多くおられるのではと想うと、いくら能天気な私でも、打つ気持ちが萎えたりすることもあるのだ。

朝日を浴びるわが部屋

しかし思うのだ、あるいはどこか八方ふさがりのような出口が見えなくてもどこかに明るい触角を伸ばして、打開策を見つけてゆかなければ、哀しいかな人生はままならなく立ち行かなくなる。厳しいのである。私の家族にだっていつそのような苛酷な状況が訪れないとは限らない。いかに平和的に生き延び新しい年を迎えるのかは、全人類の普遍的テーマである。

まさに一歩間違えば、人生にはいつだって断崖が待ち受けているといった方が正鵠を得ているお思う。だから父や母が常々口が酸っぱくなるほど、繰り返し語り続けたように、地道に一歩ずつ歩を進めるにしくはなし、なのだと想うのである。

幸い、娘たち2家族このコロナ下を東京の地で元気に乗り越え、帰省してくるという事実、次女はこの夏まさにコロナ下の夏葉君に恵まれた、そのことをこそ、私は平凡な慶賀と受けとめとりあえず家族全員でお正月を迎えることができそうなので、単純にうれしいのである。

まずは足元の平凡な、だが非凡でもあるのだということの自覚の上に、今この現在の家族全員でのお正月を寿ぎたい、ただそれだけなのである。

私の両親も、妻の両親も華美な生活には程遠く、質素極まる単純を絵に描いたような暮らしの中で子供たちを育て、人生を穏やかにまっとうしたのだが、まったくわたしもそのようにありたいと、つくづく願っているのである。【単細胞・単純に生き・こともなし】である。


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