ページ

2021-12-21

冬至間近、一人夕方薪割をする。

新聞を取りにゆくと3日連続して夜明け前の月が浮かんでいた。寒いのでちらと眺める程度だが、このような寒さの中でもきちんと、こんなにも早くすでに新聞が届いている。

ささやかにすでに1日を始動している人のいることの平凡さに、どこかしら自分もまた今日1日が始まるのだとの、当たり前なことに思いをいたしながら、すでに落ちている暖かいコーヒーのある台所へと向かい、一息入れおもむろにパソコンに向かう。

早寝早起きだから、よほどのことがない限り21時時以降に 何かを為すということはしない。その代わりといっては何だが、起きてから午前中の7~8時間はエネルギー全開でいまだ過ごすことができるわが体があるということの喜びは、加齢と共に深まる。

文章を打つことも含め、本を読むことの殆ども午前中か、午後の午睡の後か、夕方ひと風呂浴びてのちの夕飯前の 一時しか本は読まない。とくに音読するための本や、集中力を要する類の本は、午前中よく休んだ体で読むことにしている。(ノート片手に、すぐ忘れるので)

疲れ切った身体での読書は、この歳になるとなんの意味も持たない。決して無理なく自然にやがては枯れてゆく五十鈴川でありたいと、最近はとみにそういう感慨がわいてくるのである。

天空土光、雨を風を感じる。

だが、とはいうもののほかの方はいざ知らず、この冬の季節、さあ今日も働こうという気力が満ちてくる体があるということ、在り難きかなである。ありがたやと日々何度もつぶやき、深呼吸する私である。誰もいない冬の青い空の元、我ひとり草とたわむる、なんていいではないかと自己慰安するのである。

話変わり、アルバイトしているところで直径30センチくらいの丸太が手に入ったので、昨日の夕方薪にするために、チェーンソーである程度の長さに切り、斧で 割木にした。おおよそ一時間半で作業を終え、結構な薪ができた。

この年齢での薪割は、年々しんどくなってくるのだが、休んで息を整えては挑む。私は軽いジョギングくらいの気持ちで、冬場の作業と割り切って 、どこか楽しんでいる。夢が原時代も含めれば、30年近く続けていることになる。

午後3時過ぎくらいから作業を始めたのだが、割った薪を車に積み込むころには西の空に真っ赤な日没が。朝日を浴び、夕日を眺めいる。贅沢な時間である。

だが、あっという間に暗くなる冬至間近。家に戻って暗い中妻も手伝ってくれ、薪を積んだ。家に入ると、すでに妻がストーブに火をつけてくれていた。

0 件のコメント:

コメントを投稿