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2020-02-02

9年ぶりに元企画者としての血が騒ぐ朝。

私に孫が授かったのがおととしの3月、(この年リア王を音読できたことは本当に良かった)昨年次女が嫁ぎ、年の暮れ中村哲先生が凶弾で逝去され、本当に久しぶり先週土取さんに会い、陰りゆく黄昏時間を静かに生きていた初老男の私の中に、言うに言えぬ感情のさざ波が起きつつあるのを感じる。

感じているからといって、私の静かな今の暮らしが 急に変わるわけのものではない。が、この感じを大事に今年は、自分自身と対話しながら、何か企画できるのではないか(企画したい)という思いが湧いてきた。五十鈴川だよりを書きながら、実践できる力をわが体に養いながら実現に向けて走れないので歩むことにする。考えるのはこの冬の間がもっともいい。
凄まじい人生、時代が産んだ傑物というしかない

そのために一番肝心なことは、体調管理の維持である。シェイクスピア作品を音読するだけでもやったものにしかわからないエネルギーがいる。だがシェイクスピア作品の音読は私にそのエネルギーをくれる。

間もなく68歳になる私にとって、この年齢で新たに何かを企画するということは、やったことがないので、未知の世界だが、土取さんが現役で情熱を燃やし続けている間は、私も並走する感じで寄り添う覚悟である。

だが先週も書いたが、次の世代の企画者のためにも、一人ではなく若い方とタッグを組みたいのである。最低10年は企画できるくらいのエネルギーの持続力がある人間が育ってほしいのである。私がそうだったように。

企画などしたことがないような人の方がいい、意外と面白い可能性が開けてくるのではないかという気がするのだ。まず、最低3人必要である。核を作ってからことを進めたいのだ。若くはない今だからこそ落ち着いてゆっくりと企画する、その方法を見つけたい。

土取さんは年内9月までは、予定が詰まっているとのことであり、企画が実現するのは秋か来年になるかもしれないが、要はやるかやらないのかを決めるチーム作りから、冷静に頭を冷やしながら考えてゆきたい。

間もなく亡き父の命日がやってくる。父との無言の対話をこの20年間続けている。節目節目をやはり感じる。20周年。死者たちと孫、家族、遊声塾を含めた 現世の面々が私に力をくれる。あらゆるこれまでに縁のあった方々と、意外性のある面白い一隅を照らす企画を9年ぶりにやりたくなってきた。微力を尽くし今を生きたい。



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