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2020-02-09

昨日大阪まで、名取洋之助写真賞受賞作品写真展に行ってきました、そして想う。。

もう間もなく68歳になろうとする私は、おとといの五十鈴川だよりでも書いたが、もうあまり余分な情報は入れず、これまで生きてきた時間の中でのあらゆる出会いで、得ることができた自分なりの考えや、物の見方を、ささやかではあるがシンプルに深めてゆく、五木寛之さんの教えでいえば、林住期的な現世時間を生きたいという思いの中にいる。

だがこの歳になっても、いい意味でこれこそが生きている証左なのであろう、とりとめのない初老男の心はいまだ揺れるのである。その揺れの起因は、やはり中村哲先生の死であり、私より年上の土取利行さんのいまだ枯れないこんこんとわき出流かのような 、今を生きる情熱との再会である。

一瞬一生という言葉がある。まさに今生きていることの中にしか、世界は存在しないのである。というわけで、思い立ったが吉日、昨日大阪にある富士フォトサロンで行われている名取洋之助写真賞・受賞作品展に行ってきた。

すっかり閉じこもったかのような、静かな暮らしで余分な情報には触れないようにして入るが、新聞だけは目を通すようにしている。昨年10月22日、簡略に記すがこの写真展のことを新聞で知り、切り抜いて壁に貼り付けていた。(ほんとうに必要な情報は目に入る、感性のアンテナを枯らさないこと、信頼できる方からの情報、中村先生のような)

ゆく気になったのはバングラデシュで廃船になったなった船の解体処理に従事する子供、少年たちの過酷な労働現場の写真であったからだ。それを撮られた和田拓海さんが31歳の若い写真家で あったから。タイトル【SHIPYARD~翼の折れた天使たち】

このような写真展はなかなか岡山や地方では見ることができないのが残念である、一言やはり出かけてみる価値がある写真展であった。詳細は割愛するが、30点余りの写真に写っているあまりに低賃金で長時間労働に従事せざる負えない現実の世界の子供たちの姿をきちんと伝えてくれるジャーナリストや写真家が、中村哲先生のような、見て見ぬふりのできない、人間性を失っていない若い写真家の存在は救いである。

私たちが手にする生活に必要な、あらゆる食品、家電、車、衣類ほか 必須アイテムはきっとどこかで、極めて過酷で安い労働力の上に搾取された、無数の地球上の老若男女問わず生活弱者の血と汗の労働の上に、成り立っていることを知らされる。

18歳から時代のおかげで、飢えることもなく今を生きられている私だが、ささやかに今も体を動かし、賃金を得ているものとして思うのは、世界のあまりの言葉では伝えられない天国と地獄といってもいいほどの格差である。あの子供たちの鋭い眼の光は老いゆく我が身を照らす。

生れ落ちたところの運命とだけで済むことではない。自分がそのような苛酷な現場で何も知らされず、もし働かされていたら、との想像力をなくしてはならない、と思う。

裸足、何より防塵マスクがないから、さびた鉄くずの埃を働いている間中吸うことになる、これでは身体が病むに決まっている。やけどもする、手袋がないからだ。日本では100円ショップに行けば簡単に手に入るものが、バングラデシュの解体現場の子供たちにはない、素手で、汗まみれで、埃にまみれて 家族を養うために生きて教育を受けることもなく生きているのだ。

一日働いて、一ドルくらいにしかならず、同じように働いても大人よりずっと安い。和田さんによると、地球上で教育も受けられず、劣悪な環境で働かされている子供たちは、一億5千万人くらいいるという。しらなかったでは済まされない。

見て見ぬふり、知らぬ存ぜぬではさもしく悲しい、安穏と生きられる側の人間は、(私のことである)このような写真に出会ったことを、一人にでも知らせるべく、可能なら関心を持ってもらうべく、つましく生き五十鈴川だよりを書く。老いゆきながら書くことも行動と思いたい。 和田さんとたまたま会え、わずかな時間話ができてよかった。



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