ページ

2020-02-15

冬の陽を浴びクローバーの根に指先をマッサージしてもらい、そんなひと時にふと想う。

2月は例年というか、そろそろお墓参りを兼ねての、五十鈴川詣で、帰省の虫が動いているのだが、やはりコロナウイルスの新型肺炎の猛威が国内にも及ぶにしたがって、この調子では 国内の人々の移動心理にも影響が出そうな気がする。

だからといってどうすれば、思案中である。もう私くらいの年齢になればとは、どこかで観念するしかないが、(でもいざとなったらうろたえるだろう)若い現役バリバリの還暦前のあらゆる男女世代に 与える、心理的な不安は想像に余りある。

それにしても、東北の津波災害原発事故以来の、全世界をおおう得体のしれない、心理的に重くのしかかる予断を許さない、現代の逃れられない喫緊のあまりの多くの課題の山積は、老いたとはいえ、やはりあれやこれやと胸がざわつく。

終息、ピークアウトが長引けば、オリンピックにも影響が及ぶだろう、すでに流言飛語が出ている。あまりにもそれをネットなどで流す人間の質の低下には言葉を失う。

だがただじっとしていても社会は活力を失ってしまうし、初老男にも悩ましい。来月は孫が2歳になるので、会いにゆくのを楽しみに今もしているのだが、そのころには事態がどのように推移しているのかではんだんするしかない。

普段であれば梅の開花のニュースが飛び交うこの季節、電波はコロナウイルスの新型肺炎にハイジャックされたかのような按配。何度もかいているがはっきりとしない情報には距離を置き、私自身の静かな暮らしを続けるだけである。

話を変える。アルバイト先では冬の季節は草も伸びないし、身体に負担のかかる作業は少ないのだが、冬の時期にしかできない仕事はいろいろとある。

仕事というのは、自分で見つける気があれば、人生ののあらゆることに通じると思うのだが 見つかる、見つけるのである。この数週間暖かい時間帯、私は生まれて初めてクローバーの根を採る作業に取り組んでいる。
次女の旦那さんが作ってくれたお誕生日プレゼントの名刺

詳細は長くなるので省くが、根気のいる作業であり腰が痛くなるし、老いつつある身にはきつい労働と思われるのだが、私は肉体訓練のつもりで取り組んでいる。本格的に意識的にクローバーと格闘するのはこの冬が 初めてである。やればやるほど知恵がついてくる。

正直はじめは年齢的にもいくばくかの不安もあったが、このところこれが面白くなり始めている。地面を這う山登りのように、なめくじのように芝生の上に点在する緑のクローバーの根の採取に、スコップで掘り返し素手で挑んでいる。

クローバーの根がこんなにもすごい根であるのを私はこの歳ではじめて知ったが、クローバーの根をきれいに根絶するのは半端な覚悟ではなかなかに難しい。だが時間はかかるが、ある程度採り終えた時の達成感は、やったものにしかわからないほどの充実感がこのところの私に生まれている。

指先の感覚がじんじんして時になくなるが、これも生きているが故と見つけたり。夜お風呂の中でで指先をマッサージするとピンク色の指先になり、指先がつるつるになって美しくなる。きっとクローバーの根が指先をマッサージしてくれたのだということがわかるのである。

やはり体は動かさないと駄目であると痛感する。静かに深呼吸しながら動かすのである。何事も楽しめるか否か。とくに最近思うのは足先と指先を鍛えることの大事、大切さ、弓や声出しの呼吸法に通じる。肝心なことはやはり細部に宿ることの気づきである。社会不安から逃れるには、小事生活を豊かに生きるしか私には方法がない。





0 件のコメント:

コメントを投稿