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2020-02-05

2020年、亡き父の命日の朝に想う。

父の命日である。2000年に亡くなったので、まる20年が瞬く間に過ぎた。娘がまだ10歳と6歳だった。五十鈴川だよりを書き始めてから、命日が来たらほとんど書いている。

これからいつまで五十鈴川だよりを書けるかはわからないが、命日には心からの感謝を込めてささやかに一文を綴りたく思う。思春期からことごとく対立した親子関係であったが、そのあまりに大きな存在、感矛盾した存在で、(人間の摩訶不思議さ)今にして振り返れば私は鍛えられたのである。

18歳で親元をを離れたのちの、今現在でさえ心の奥底で私を支えているのは両親の姿である。戦前の教育勅語を基本にした教育を受けた父と、戦後民主主義教育を受けた、なまっちょろい浮かれた私と父親とは、ことごとく対立したが、今となっては夢か幻のようである。小学生のころはまさに鬼、本当に怖かった。

ただいえることは、あの父の息子として生まれたがために、今現在も何とか生き延びて今現在の暮らしを営んでいられるのだということへの感謝である。強烈な愛と憎しみの二律背反する言うに言えぬ感情は父によって鍛えられたのである。今に至るもきれいごとをのべ、権威だけの薄っぺらい実践力のない大人が私は大嫌いである。
父の命日に読むにはぴったりの本

私がシェイクスピア作品の登場人物のに惹かれるのは、理由がある。

引き裂かれた絶対矛盾、まるで綱渡りのような、どっちに転んでも不思議ではないような情況を選択せざるを得ない時に、男として父だったらどうするのか、時に考えながら子育てをしてきたし、今もしている私である。(実に私は古い)

いまだ父と母は背後霊のように私の体の奥深くに棲んでいるのである。私が一文を綴れる間は、両親が私の脳裡から消えることはない。きっと私の存在が危うくなるまで、私は父との想像上での対話をしながら生きてゆく(のだろう)。

親子鷹という言葉があるが、幼少期から思春期までそれはそれは、今思い出しても怖い厳しき父親に鍛えられた。だが一輪の深い優しさがあった。ひ弱であった私は人生を生ききるための基礎体力をあの父に鍛えられたからこそ、今があるのだと臆面もなく書ける。

時に弱気になるときに、【人間だれしも】いつも最後父に叱咤激励される。【小さきは小さきままに・花もちぬ・庭の小草の静けさを観よ】父の愛した詠み人知らずの歌。男子の本懐を失ってはならない。お線香を一本 立て手を合わせる。





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