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2019-08-24

夏の終わり、小さな旅に出かけました。

すっかり涼しい土曜日の朝である。ぐっすり寝た朝のなんという気持ちのよさ、老いるとよく眠れないというが、今のところまだ大丈夫である。とくに働いた日や、遊声塾のレッスンをした日は、ぐったりと疲れて、時にオーバーではなく倒れこむように床に就くことがあるくらいである。

睡眠の奇蹟というほかはない。眠っている間も臓器は死ぬまで休むことはなく、もちろん脳も休んではいないと、養老孟司先生の御本で知った。赤ちゃんの最初にできる臓器が心臓、つまり生まれどこかへ召されるまで、心臓は休むことなく、動き続けるのである。生命のあまりの精妙さに、そして物思う心の不思議さに、存在している(らしい)自分に驚くのである。

話は変わる。一昨日たまたまお休みだったので、私の楽しみの一つといってもいい小さな在来線の旅で神戸は元町に向かった。平日だったので始発で家を出て、八時半には着いた。(車中はいつものように移動読書、時折うつり変わる車窓の景色を眺めながらの涼しい読書時間は、夏の小さな至福時間である)
二人の俳優が素晴らしい、演技に撃たれた。

目的は元町に在る、シネ・リーブルという映画館で上映中の【ヴィムベンダース監督の世界の涯ての鼓動】を観るためである。待てばおかやまでもみることはできるのだが、私は見知らぬ街で、人知れず映画館に入るのが好きなのである。

ヴィムベンダース監督は、グローバル化された現代世界が、いやでも抱え込んでいる、解決が不可能であるかのように思える根源的なテーマに、敢然と挑んでいる稀な世界的な巨匠である。(と勝手に思っている)

第2次世界大戦の爪痕が残る、ノルマンディーの海の近くホテルで出会った男女が五日間の滞在の間に本質的な恋に落ちる。女性は海洋生物学者、男は英国の諜報員。二人は生きては戻れない可能性のあるミッションをお互いに抱え込んでいる。

女性は海底探査機で、いまだ人類が知らない深い海に、男は動乱のソマリアへと向かう。良き映画作家は、見ているものの想像力を痛く刺激する。何億年かかかって海から人類が生まれてきた。その人類はこれからいよいよどこに向かうのか、の重いテーマが、男女の愛を通して狂おしく描かれている作品。岡山のシネマクレールに来たらもう一度みたい。

これ以上作品の内容には触れない、関心のある方は是非見てほしい作品である。見終えて元町の小さなお店でおいしいチャンポン(世界の動乱とは別世界、平和にチャンポンがすすれることの何という有難さ。九州人の私はチャンポンが大好きである、さすが元町ちゃんとチャンポンのお店があった)と餃子を食べ、映画館とは別世界、阪神電車に乗り午後2時開始の甲子園の高校野球の決勝戦に向かった。

第101回・初出場と記されている

何故決勝戦を観にゆくことになったのか、できたのか、雨で試合が伸びたからである。前回母校富島高校のおかげで甲子園の高校野球の雰囲気というものを生で接することで、生で見ることの素晴らしさをこの年齢で初めて味わえたから。決勝戦を生で見るなんてことは、そうはあるものではない。見ておきたいとただ思ったのだ。

どちらを応援するでもない、ニュウートラルな立場で、ただ決勝戦の雰囲気を体感したかったのである。外野席のみが残っていたのですし詰めの外野席に何とか座ることができた。試合開始から終わるまでの時間、人波に揺れる満員スタンド、大観衆の形容しがたい熱気、声、が途切れることがない現場、テレビでは決して味わうことのない独特としか言いようのない、高校野球の青春の醍醐味を初老男の今、体感できたことの感謝をきちんと五十鈴川だよりに書いておきたい。

大阪履正社と石川青陵高校の決勝戦を見終えて家路を急ぎ、帰り着いたのが夜8時、妻がいい試合だったねと、言葉をかけてくれた。私の夏休みは終わった。




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