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2019-08-18

今日は月に一度のシェイクスピア作品輪読音読会の日である、そして想う。

今朝はこの夏一番の涼しさ、ぐっすりと寝て気持ちよく起き、朝いちばん水を浴びてからコーヒーをいただいての五十鈴川だよりである。

さて今日は、間違いの喜劇、十二夜、ロミオとジュリエット、ハムレットに続いての月に一度の輪読音読会の日である。3月から始めた音読会、ハムレットだけは2回に分けて読んだので今日5作品目は【お気に召すまま】である。

基本的には一回で一つの作品を完読したいのだが、そうもいかない長い作品もあるので、臨機応変に、音読したいと思っている。前回までは毎月チラシを作っていたが、5、6名の連続しての参加者がいるので、もうことさらにチラシを作ることはしないことにした。

基本的に、毎回5,6名の参加者がいれば私としては十分なのである。私にとって週一回の遊声塾は最も大切なレッスン時間である。きちんと月謝をはらってくださる塾生の方々に対して、非力をどこか自覚しながら、精いっぱいのレッスンをこの6年間続けているのに対して、音読輪読会は基本的にレッスンはしない。

ただただ、月に一度音読輪読するだけである。いい意味で気楽にやれる。その両極を可能な限り、元気に聲が出せる間は続ける、これが今のところの最も大切な、オーバーではなく生きがい(この言葉最近あまり好きではない)的な心身のバランスをとる健康法になっている。
400年前の魅力的な登場人物たちと現代を生きる私とが交信する

臆面もなく書こう、遊声塾を立ち上げて何度か弱気になったこともあったが、乗り越えた後には、思わぬ出会いがあったり、苦しんだからこそ得られる喜びがあったりして、右往左往しながらの現在である。

だから、身体が欲する無意識的な衝動に動かされる間は、持続したいと思うだけで、ことさらに全作品を読むのであるといった気負いのようなものは一切ない。だからそういう意味では、いつまでできるのかは、当の本人にも全くわからない。(たぶん突然終わる)

再三書いているように、人間はできたことがやがてできなくなってゆく、生を閉じる器である。だからこそ尊い生をしっかりと生きようと切に願う、か弱い私なのである。

たまさかの現生(世)、シェイクスピア作品を声に出して子供に還って遊ぶのである。そういう人生時間が還暦を過ぎて訪れたのである。遊びをせんとや生まれけん、のまさに心境なのである。意味などはかけらも求めてはいない、ただただ可能なら無心に自在に遊ぶことがささやかな願いなのである。

というわけで、昨日は久しぶりにお気に召すままを、小さな声で完読した。

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