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2019-05-02

ふるさとをを目指す回帰旅の朝に想う。

令和が始まり、昨夜初めてのシェイクスピア遊声塾のレッスンを私も含め、3人でいつもとはちょっと異なる充実したレッスンを普段通りの時間まで行うことができた。

遅く寝たのだがすっきりと起きた、故郷を目指す前の、ちょっとの五十鈴川だよりタイムである。3泊になるか、4泊するかまだ決めていないが、その間五十鈴川だよりはオフである。
ますます亡き父に似てきた私である(DNAか)
 すっかり静かな暮らしが板につきそうな私なのであるが、故郷への個人的な小さな往還旅は、おそらく最後まで続くだろう。(そう望みたい)

ふるさとへの往還を繰り返しながら、今を生きる己を静かに見つめなおす。見つめなおす最適な場所が 、私の場合ご先祖に直結する五十鈴川なのである。

生理的に身体の奥が、いまだ疼くのであるから しようがない。川の流れではないが、おのれの流れにゆだねるしかないではないか。自然に身をゆだね、あるがままに、ゆく川の流れは絶えずして、もとの水にあらずと、という心境。

昔からすぐれた諸行無常感を、先人がこのように書いておられるのに、いたく感心し、まさにその通り。すべては一所不定、移り変わり行き、久しくとどまりたるためしなしである。だが、目には見えないが、その中に普遍の何かをとらえ、見ようとする魂が感じられる。

同じように毎年帰省しながら、何かが微妙に推移、老いつつもなおオーバーだがどこか生まれ変わるかのような感覚にとらわれる、(すがる)ありがたい私の回帰旅である。


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