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2015-07-26

夏休みの旅・命と自由について想像し、考える。

明日か老春旅に出かけますから、五十鈴川だよりは次回まで、夏休みといたします。

五十鈴川だよりを読んでくださる方々、心より暑中お見舞い申し上げます。昨日あたりから、蝉のなぎ声も本格的になり、何やら少しほっとしている私です。

が、この夏の暑さと紫外線は、若い時と違ってさすがにこたえます。というわけで私の暑さ対策。とにかく、涼しい時間帯に動き働き、ブログも書き、夜は とにかく早めに休む。

午後から夕方までは努めて出歩かず、涼しい場所でのらりくらりと過ごす、猫のように。こうやって私はこの数年の夏を過ごしています。

それと、以前も書きましたがまめに水を浴びる。家の中の風の通り道でのお昼寝など、あれやこれやの対策で、なるべく元気を保てる工夫を私なりにしています。

とはいうものの、生来の怠け者のはずなのに、歳を重ねるにしたがって、若い頃の自分をキリスト教徒でもないのに、懺悔するかのように、真面目になってきているような自分がいまして(おこがましくてすみません)、絶対矛盾を生きる私です。

さて、昨日デモには参加できなかったのですが、岡山弁護士会が主催する、安全保障法案に反対するとT新聞の記者方の講演会を午後聴きに出かけました 。

詳細は割愛しますが、一言出かけてよかったです。メディアでは伝えられていないお話をたくさん聞くことができました。とにかく知らないとまずいですね。国民をなめてもらっては困ります。

彼の話は、かなりの事実、真実に近いと私は受け止めました。この法案が決まったらとり返しがつかないような、のっぴきならない時代がやってくる可能性が高まります。ここは何としても、ストップをかけないと、と私は個人レベルで考えます。

当たり前にできていたことが、当たり前ではなくなる風通しの悪い時代が足音を立ててやってくるような、嫌な予感がします。

決まってしまったら、あとはずるずる大きな渦となって、誰もが口をつぐむようなご時世の到来は、五十鈴川だよりは承服できません。

私の杞憂が杞憂で終わるのを私は望みます。何より私たちの世代は自分の家族、未来の人たちのためにも責任があります。

自分の問題として、きちんと学び発言行動してゆく責務があると私は考えます。明日から旅に出ますが、この法案の行く末には、アンテナをはり続けたく思っています。

物申したり、ものを考えたりする自由は、かけがえのないものです。そしてその自由は、命あってのものです。

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