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2015-06-30

6月26日、学生が主催するSEALDs(シールズ)の集会に初めて参加しました。

人間万事塞翁が馬、という言葉があるが、たったひと月でこうも自分の生活が急変するとは思いもしなかった。が事実として私の中での変化には、ちっとも私は驚いていない。

世の中に飛び出してからというもの、以来45年、いつも時代の中で木の葉のように揺れながら迷い決断し、かろうじて今を生き延びている(いられる)という自分の中での確たる実感があるためである。

今回もそのような決断を自分の中でしたまでだし、今後も可能な範囲で、不自由な自分をブログが書けるくらいの気力が続く間は、自由自在に迷える子羊感覚を持続したいと私は思っている。

さて、先週木曜日から、日曜まで3泊4日上京してきた。2泊は娘のところに世話になった。主な目的は、前回のブログで書いたので省く。

何はともあれ時代の変化をこの63歳の体で直に感じるために、SEALDs(Student/Emrgency/Action/Liberal/Democracy-s)という10代から20代の学生たちが主催する集会の現場に、私は行ってきた。

生来群れることが苦手なこの私が、よもやまさか このような行動をこの年で起こすとは、まさに人間は自分で自分を思い通りにはできないのである。

まずは金曜日の夜、7時半からの国会議事堂前での集会に初参加、あいにくのかなりの雨のなか傘を差した老若男女が5時過ぎころから徐々に集まりだし(私は5時前に着いて物々しい厳戒体制の中、首相官邸や議事堂の周りを約1時間くらい歩いてから、集会場所にたどり着いた。

近くではほかに原子力発電に反対する各種団体や、個人個人がが 思い思いにデモンストレーションをしていた。俗にいう無党派層がかってにそれぞれの思いで(私もそうであるように)参加している人たちがあつまり、声を上げていた。

声を上げずに静かにプラカードや、思い思いの言葉を書いたカードを胸に掲げ参加していていた 。親子だろうか、中学生くらいのお嬢さんは車いすで参加していた。個人で書いた思いのこもったチラシを配布する人もいる。

 一人中年のおじさんが自転車にユニークな手作りのプラカードを後部座席に建て、議事堂周辺を回っている。集団 ではなく、一人とか友達連れで普通の人たちが参加している。楽器を持っている若者もいる。高齢の方たちもたくさんいる。

見るからに静かで優しそうな方たちが、暗くなるにつれ羊の群れが増えてゆくのを私はこの目でしっかりと確認した。言葉は交わさないものの無言の連帯感が辺りを包む。

何かが静かに動き始めている、あきらかにこれまでとは異なる自分の頭や体で考え、行動を始めた人たちの、自主参加型連帯のデモが、戦後70年の節目の年に起こっている。

シールズの学生の熱い声明に唱和するが参加者の声が響くころにはもうあたりはすっかり暗くなっていた。

雨は一段とひどくなってやまない中、安保法制に異を唱えるシュプレヒコールの声が議事堂周辺に響き渡り、その数は数百人以上はいた。私もその輪の中に立ち続けた。

議事堂周辺で同時にいろんな方々がそれぞれの立ち位置で集会を行っていたのでおそらく雨の中1000人くらいの人たちが時の声を上げていた。

言論の自由、表現の自由の有難さを雨の中かみしめながら、私は来てよかったと、こころから念じた。当たり前のことがこんなにも通用しない時代が来ようとは、ぼーっとは、私はしていられない。

アクションを起こさないことには、虚無感で体の健康に悪い。雨の中若い方たちの声を聴くのは気持ちが良かった。発言している人が自分の言葉で話すから伝わるのだ。紋切型は、何も生まない。

人の顔色を窺ったり、世間体を気にし 、風が悪いなどといった、よくは理解不可能な日本的空気を読むに敏な人たちが、多数を占める湿気の多い日本的な風土感覚とは(自分の中にもあるから始末が悪い)私はそろそろ決別したい。

娘に借りた傘は、小さな折り畳み式で夕方から降り始めた雨で、かなり濡れてしまい体が冷え、漸く風邪が 治りかけていたので、ぶり返さないように木陰の下で暗い中濡れながら、もう一枚Tシャツを着、9時まで参加して地下鉄で有楽町に出て、この日は大井町にホテルをとっていたのでチェックイン。

すぐに着かえて暖かくし、腹ペコだったのでホテルの近くの下町の中華の店で一人夜食。この一人アナーキィ感が天邪鬼な私は好きである。私は時折、無念無想孤独をかみしめる。

熱いお酒と、スープと、大きい餃子と少しのごはん。カウンターだけの小さな店だったが、大正解。もう一度行きたいと思わせるほどに大きい餃子が美味しかった。働く3人の親父たちが、きびきびカッコよかった。平和の大井町餃子。

冷えて疲れた体に、すべてがしみた。これだけの満足度で、1050円。やはり東京は第二の故郷である。18歳から40歳まで過ごしたので、すっかり変わったとはいえ、地理感いまだ体にしみこんでいる。

上京し集会に参加する私を、我妻は静かに送り出してくれた。





1 件のコメント:

  1. 岡山でも この国の進もうとしている道に 危惧を感じる人たちの集会が ぼつぼつに行われているのですが、どこに行ってもにたような顔ぶれ、になりつつあります。自然体で 参加できる 集まりができればいいのですが。

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