ページ

2014-12-01

先週、日高怜君が里帰りしました。

先週末二日間、正式に我が家の一員となった娘婿、怜君が日高怜となって岡山仕事のついでに、里帰りした。娘は逆に札幌仕事で、怜君は単身で帰ってきた。怜君は、水質や土壌の専門家なのである。

今年は、フィリピンに何度も仕事で出かけていて、先月は3週間も滞在していた。世界が水をめぐって、経済闘争に入っているこの時代。企業にとって、安全で潤沢な水の確保は死活問題なのである。

私は初めて外国に出た25歳の時、パリで、一番安いワインが水よりも安かったことに驚いたが、日本でも自動販売機で、やがて水が買われることになる時代が来ようとは、当時は思いも及ばなかった。

日本では、飲める水をトイレでも流しているが、そのような極楽とんぼの国は日本を置いてほかにはないのではないかと思う。大陸、コンチネンタルと島国の相違、というにとどまらず、日本の多様な風土、地理的特殊性はいかんともしがたく、良し悪しは置くとして、日本人の精神性に多大な影響を与え続けている、と言わざるえない。

とまれ、なにやら深い話題に入ってゆきそうな我がブログだが、今日は午前中レッスンがあるので深入りしている時間がない。ごめんなさい。

さて怜君、すっかり我が家の一員になってきた感あり。そのことは、私にとっても、家族にとっても大きな悦びをもたらしてくれる存在となった。とくに、下の娘が怜君を初めてできた兄のように慕っていて、その影響のせいのようにも思えるが、この10月から、岡山は弓の町にある、怜君と同じ徳山道場の門下生となり、学び始めたのである。

これは父親の私にとって、事のほかに嬉しい最近の出来事なのである。次女はあらゆることに、のんびりした穏やかな性格なので、厳しい世の中に出て、きちんと世の荒波を乗り越えてゆくことができるのか、親としてははなはだ心配をしていたのだが、怜君をいろんな意味で頼りにしているのがうれしい。世代が近いのがいいのだ。

我が家に、私以外の頼りになる、若き男性が加わると、かくも我が家の女性陣が生き生きとしてくるものかと、私は驚く。おばあちゃんも生き生きしている。東京の怜君たちに食べてほしいのだと、新米をはじめ荷物になるのも構わず、持たせていた。

ともあれ、娘が異国の男性と新生活を始めたおかげで、我が家にも本格的に新しい風が吹き始めた。私の中にもなにやら言うに言えぬ、ありがたきかな、というしかない感情が芽生え始めていている。

時間の流れとともに、いやでも暮らしは変わってゆく。その中で、最も大切な愛情や、こまやかな思いやりを見失わない生活を心懸けたいと、母を見倣いながらおもう。ようようにして、一めぐり若い人たちの新しき生活のお役にたてるような、晩年ライフが送りたいものだと思う。

そのためには、これから何に重きを置いて日々を新たに送ってゆけばいいのか、ということを五十鈴川だよりで、迷いながらも書きつづりたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿