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2014-12-27

師走の寒い朝、気づくことの感覚を深めてゆく。

私ごときでも何かと忙しい師走を送っていますが、先日の上京師走旅は、世間とは間逆の時間が過ごせた、まさに忙中閑ありの気ままな旅を送り、ことのほか充実したいつもとは異なる時間が流れました。

そのことに関しては、また大みそかまでに書きたいと今は考えています。実は今日先日会ったばかりの娘夫婦が飛行機で帰省してくるので、岡山空港まで迎えに行かなくてはならないのです。

ところで4日休んで、おとといから仕事をしています。仕事から帰って干し柿や、海の牡蠣を夕方友人知人に送ったりしているのですが、まさに流れるように時間が流れてゆきます。

干し柿は、母や妻のおかげでそれなりの干し柿をつくることができました。これまでの人生でいろんな方々にお世話になり、今の自分があるのを感謝し、これからは何か自分で手をくわえて送る楽しみみたいなことを、普段から深めてゆきたいと思う私です。

今年もあとわずかとなりました。本当は私も今日からお正月休みの予定だったのですが、急な仕事(ありがたいことです)が入り、休日返上でもう数日仕事に出ることになりました。

そういうわけで今日は、お休みに入った妻や家族とともに終日過ごそうと思います。母がお正月だけは我が家で過ごすので、普段3人で過ごすには広い家なのですが、大みそかからしばし6人での生活になるので、にぎやかになります。

母は柿と牡蠣が好物なのです。昨夜は夕飯時、薪ストーブで牡蠣を蒸して食したのですが、大変喜んで(82歳ですが)、しっかりと健啖家ぶりをいまだ発揮し、お酒も少し飲んで結局泊まりまして、今上でやすんでいます。

毎年思うことですが、なにはともあれ家族が健康に生活でき、仲良く日々が送れることのなんたる平凡の極みというしかない当たり前なことが、実はまったく当たり前ではないのだということへの深遠なる気づきは、歳とともに深まってゆく私です。

気づきが深まれば、感謝する気持ちもおのずと深まり、物事は良き方向へと好転してゆくのだという気が、最近ことのほかにします。そういう方向に自分で自分を運んでゆくと言いますか、自分で自分をのせてゆくという感覚。

言葉にすれば、遊ぶという感覚が私にはいちばんしっくりきます。整理整頓、掃除やお料理あらゆる手間のかかる年末雑事の数々を、感謝の気づきで遊んでこなしてゆくことが、肝心だと小生思います。

すっきりした部屋に(花一輪)いると、心がおだやかになります。そういう気持ちになれるのは、すべて身体が健やかに動けるからなのです。一事が万事、そうなのだと確信します。十分寝て朝起きて、すっきりとブログが書ける、仕事に行ける、アクションが起こせる。

ということが、私の場合今の暮らしで一番大切にしていることです。最近珈琲も(大好きなので)少し控えるようになってきましたし、玄米(8割くらい)と野菜中心の食生活に替えたこともあるかもしれないのですが、ことのほかに体が軽く調子がいいのです。

食べ物は、命の源、いのちについての考えを(これまであまりにも考えが足りなかった、考えてこなかった)これからは深めてゆきたいと思います。気づく感覚を深めれば、もっともっとこれからが面白くなるそんな予感がします、、後は気づいたら実践する。(そこがちょっとむつかしいかな)




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