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2014-08-11

台風の余波雨のお休み、斎藤明美著【高峰秀子の言葉】を読みました。

私がいきなりこのような書きだしで書いても、読み続けてくださっておられる方は、又かと思うくらいで、まあ、読んでくださるのでしょうが、もしはじめて読まれる方がいたら、どう思うのだろうか、なんてことも、たまには思ったりする私です。

ともあれ、台風一過、なんともはや穏やかな、西大寺(昨日は変換ミスですみません)の我が家です。家人はまだ、休んでいます。妻はお盆のお休みに入り、普段落ち着いてやれないことをあれやこれやと、やっておりまして、夫婦ともどもお互いのことには深入りせず、共存しています。

基本的に、今のところ私は、日曜と月曜日が農の仕事がお休み、月曜の午前中と、水曜日の夜が、シェイクスピアのレッスンです。昨年の10月1日から、ずっとこのペースで生活していますからもう間もなく、一年になります。

自分で書くのもなんですが、あっという間に時が流れたようにも思いますが、忙しきなかにも、これまでの人生の中で、最も幸福感に包まれた日々を送っているような気がしています。何をさして幸福と呼ぶのかは、各人千差万別でしょうが、私の場合はそうなのです。

夢が原で情熱を傾けた企画の仕事は、やはり40代、50代だから充実してやれたのだと思います。今思い返すと、かえすがえすもやっておいてよかったと、心底思います。過去形でいいのです。

過去がるからこそ、今があるのは、人生のゆるぎない真理のように思えます。今も明日は過去になる。だからこそ、今を可能な限り、悔いなく生きてゆくことを、それなりに積み重ねてゆく以外、私の場合、他に方法がない、見当たらないといったところなのです。

ある種の限界を、ヒトは生きる、その限界の中で、いかほどに自由感を保てるか、保てないのかが、私の場合重要なのではないかという気がしています。

なんというのでしょうか、ようやくにして、あらゆるリセットが進みつつある最近の私の暮らしです。交友関係も含め、すべてを新しく、深く反省しながら見直したいという気持ちになっているのです。

農の仕事を始めてから、特にそのような思いが強くなってきたのは何故なのか、そのことは、今後これからの日々の中で、ブログを書きながら、今もそうなのですが、揺らぐ自分自身を見つめてゆければとかんがえています。

唐突ですが、私の尊敬する、そして畏怖する、数年前お亡くなりになった高峰秀子さんの養女である、斎藤明美さんが、お書きになった、高峰秀子の言葉、という本を昨日一気に読みました。斎藤さんの書かれた、高峰秀子さんに関する本は、ほぼ全部読んでいると思います。重複している話も、何度も読んでいますが、何故かいつも新鮮に読めます。感動する自分がいます。私にとっての手放せない本として、死ぬまでそばに置いておきたい本です。

ヒトは、やはり出逢う人とは、出逢うのですね。お金ではかなわぬものに、出逢うためには、何をしたらいいのかを、つたない頭で、あきらめず日々を送りたいものです。





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