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2014-08-10

台風の通り過ぎるのを待ちながら、静かに過ごす休日の朝。

昨日から台風の影響が、私の住む歳代時でも断続的に続き、今朝も雨がかなり激しい朝です。四国をはじめ、我が故郷の宮崎、他県の被害は、言葉がありません。

今のところ、住民の避難勧告も発令されていない、我が家の周りは、ただじっと台風が過ぎ去るのを静かに待つしかないといった様子です。

私は18歳まで、宮崎で過ごしましたから、いくばくかは台風の恐ろしさを知っていますが、災害の少ない岡山生まれの妻や娘には、深い実感がないのは、いたしかたないとは思いますが、ヒトはおそらく、長い一生には、何らかの骨身にしみる体験があった方が、他者の痛みを共有する、感覚が育つと思います。

がこればかりは、私も含め経験しないことには、わかりえぬ感覚なので、いざという時のために、普段からなるべく備えあればの例えを、忘れないようにするといった、対処くらいしかありません。

ところで、昨日も午前中かなり激しい雨だったのですが、いつも通り仕事に出ました。というのは、雨だと暑くないので、涼しさの中で、普段やれない倉庫の周りの草を刈りたいという思いが、私の中に在ったので、なにはともあれ畑の様子も気になるし、出かけたのです。

畑は川のそばではなく、35メートルくらいの高さにあるので、風さえなければ雨でも合羽を着て、草をかることはできます。結果午前中休み休み、3時間くらいかなりの草をかることができました。同じ時間、炎天下で草を刈ったら、まずダウン寸前になるでしょう。

危険なことをするのは愚かですが、仕事はどんな仕事であれ、ベストを尽くす中でなにがしかの妙味を見つるといった感覚が、私には在ります。特に亡き父が、ヒトがやりたがらないようなことを、進んでしなさいと言った言葉が歳を重ねるほどに蘇ってきて、弱い私の心を叱咤激励するのです。

とくに始めて一年にも満たない農の仕事、とくにA専務の目指す農の志は、痛く私の心をつき動かすのです。なんとか安全なネギを育て、その収入で生計の自立を目指す。言うは易きことなのですが、半端な情熱では実現するはずがありません。

そのためにはどうしたらいいのか、ない頭で考えます。考えついたことを、実行に移す。移すには健康な動く身体が必要です。動く体をなるべく持続するためにはどうしたらいいのか、又考えます。

そんなことから、最近私は食生活をかなり見直すようになってきました。思いついたら実行する。すこしずつですが、玄米を食べ始めました。それから野菜中心の献立、早い話日本人が昔から食べてきたような伝統食を食べるように心がけることにしました。

後は続けていって、自分の身体がどのような按配になってゆくのかを、感じてみようと思っています。できるだけ、精製したものをたべず、あるがままのモノをあるがままに頂けるような食生活にシフトしてゆきたいと考え始めたのです。

若いころから、身体のことはあまり考えず、好きなものを中心に採っていた自分の食生活を反省し
ているのです。とくに農の仕事を始めてから、トータルに命のもとである食べ物に関心がとみに移ってきました。

もう十分に若くなく、完全に下り坂の、これからの限りなく貴重な命を養う食材に、留意しようという思いが、俄然強まってきたのです。外に出かけての飲食も限りなく少なくなってきました。

とくに母や妻が育ててくれた、滋養野菜をこの数十年食べ続けていますが、おそらく私が今もってすごく健康なのは、そのおかげだと思っています。医食同源、身土不二といいますが、これは真理と思います。

身体は近くの土と、そこでできた野菜、食材とつながっているのです。おそらく日本人の体は、日本列島の土や気候風土とは、切り離せないのです。そんなことを、しきりに最近思います。

当たり前に、健康に、穏やかに、日々命をつなげられることのなんというありがたき幸福感。そのことにさえ、思いが至れるようになれば、あとは蛇足というものでしょう。

衣、食、足りて礼節を知ると言います。ちょっと書くのが恥ずかしいのですが、これに各人各様の愛のある暮らしを、見つけることができたなら、、。これ以上書くのは、野暮というものでしょう。

【本日は、小泉武夫先生の、いのちと心のごはん学、NHK出版、という本の写真をアップしようかと試みたのですが、できないので、又にします】

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