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2013-09-06

渡辺一枝著、消されゆくチベット、読み終えて思う

妻との散歩はメルとともに

私ごときのブログを読み続けてくださっている方は御存じだと思うが、私は60歳還暦の誕生日は、初めて東北にゆき岩手県の遠野のボランティアセンターで迎えた。

 

大槌と箱崎というところで、わずか2日間ではあったが瓦礫の撤去作業をした。その折に共に作業をし、知り合ったKさん(今は転勤し福島で働いている)から写真同封の御便りが届いたのは熱い夏の盛りだった。

 

Kさんは、時間の無い私のために、宮城の被災地も自分の車で案内して下さった。以来、連絡を取り合う仲となった。もう一人遠野で福山から大槌に度々ボランティアにゆかれているというMさんにも出会って、この方とも縁が続いている。

 

寒い中、共に被災地で身体を動かしたり、共にあの寒さの中で、寝袋にくるまったりした仲というものは、やはりその現場での共通感覚を共有しているからか、多くを語らなくとも、親近感の密度は言葉を超えたものがうまれる。

 

人との出会いは、いわく言い難いものがある。長きにわたって途切れない仲もあれば、ちょっとした意識のずれや、意思の疎通の通い合わなさで、疎遠になってしまうこともある。遠隔地で暮らしているために普段の暮らしでは逢うことはなくともいつまでも心に残り、ふっとときおり思い出す人もいる。

 

これから私にどのような人生が残されているのかは知る由もないが、これまでの人生で出会えた、気になる人たちとの交友は可能な限り深めてゆきたいと思う私である。かろうじて反省する力があるうちに、リセットしたい想いにとらわれる。

 

妻をはじめとして、多くはないが素晴らしき友や、尊敬する方々と出会うことによって、私はかろうじて生きる希望を見失うことなく、これまで生きてこられた。私が窮地の時に、まったく変わらず接して下さった人たちのことはけっして忘れることはない。

 

話は変わるが、渡辺一枝さんが書かれた【消されゆくチベット】という本、ゆっくりゆっくりと読み、時間をかけて読み終えた。著者のチベットという邦への(人びとへの)深い愛とでも呼ぶしかない想いが、真摯という以外にない言葉でに綴られている。無知なる私にとっては、知らないことばかりで虚心に学ばせて頂いた。

 

関心のある方は、是非読んでいただきたい。人が一生の間に読める本、出会う人は限られている。このような本を読むと、現在の自分の暮らし、姿が、どこかしらあぶり出されるように感じられる。

 

中国の経済開放政策における、この数十年のチベットの置かれている変貌には驚かされる。まったく異国のことが書かれているのに、まるで日本のこの数十年の変化とどこか共通するようなおもいに、私はどこかとらわれた。

 

謙虚に知る、ということの大切さを、あらためてこの本を通して学ぶことができた。大国のエゴ、中華帝国の巨大な力で、自国の伝統や文化が踏みにじられるチベットという国の悲劇の内実をこの本を通して知ることができた。わずかではあれ知ったからには、何かしなくてはという思いに単細胞企画者はとらわれる。

 

あの過酷な環境の高地の国で、チベット仏教を根本にして生きて来られた、民族の歴史、伝統、言葉、あらゆる文化がないがしろにされてゆく現実を一人の女性が必死で伝えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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