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2013-09-17

台風一過、秋晴れのすがすがしい朝に思う

平亀次郎さんが70歳を過ぎて過ごした小部屋

台風一過、大災害に見舞われた列島各地のことを思うと胸が沈むが、なんともすがすがしい秋晴れの朝の空が広がっている。

 

昨日妻と二人で、ささやかにガーデニングと冬野菜を植えるための土作りに、午前中を過した。何をするにも時期、タイミングがある。先日は母の菜園場の土を耕すのをしたりしたのだが、こういうことがゆっくりと時間を気にせずできるようになっておおよそ半年、穏やかな時間の流れを、夫婦で過ごすことが増えた。

 

妻はことのほか、静かな暮らしを好む人なので、私とはあらゆる点で性格がま逆のように感じているが、だんだんと妻の世界が、新鮮に感じられるようになってきつつある。とにかくよく考え、庭のあれやこれやを、お金をかけず(かけられず)創意工夫するところは、おのろけでもなんでもなく、私を驚かし刺激する。

 

フルタイムの仕事を辞してからというもの、下の娘がまだ大学2年なので、私は限りなくつましい暮らしを、余儀なくされているが、つましきはつましきままに流れゆき、掃除を始め妻から家事のあれやこれやの家事一式をおそわり、だんだんと家事を楽しめるようになって来つつある自分を感じている。

 

おそわるだけではなく、最近は私なりに少しは工夫するようにもなってきつつある。自分一人での昼食も約半年で、随分と作るのが楽しめるようになってきた。冷蔵庫を開けて在るもので工夫して作る。これが愉しいのだ。

 

ささやかにお料理、洗濯、掃除、この3つをきちんとする。そのことは私の気分転換となり、精神的になんともはや心が落ち着くのである。中でも掃除、拭き掃除、雑巾がけは、からだを動かしとてもいいトレーニングになるし、犬のメルの毛が夏はとてもたくさん抜けるので我が家の必須アイテムなのである。

 

雑巾がけをしながら、コーナーの隅々に目線を凝らすと、綿ぼこりが眼に入る。立って見ているのでは分からない。畳の上も限界まで絞った雑巾で拭いていると、見えなかったほこりが雑巾にへばりつく、ゆすぐと水に埃が溶け出す。その水は庭に撒く。

 

そんなに長い時間やるのではなく、順繰りに日によって二部屋ずつ(廊下と階段、リビングはほぼ毎日)循環し、正味40分位なのだが、最近はこれをひとつのささやかな儀式のように済ませ、さっぱりしてから自分の遊学的仕事に向かうようにしている。

 

ところで昨日は敬老の日であった。夕食、母が我が家にきてくれて、家族でつましくささやかに祝った。母は菜園に関して私の先生である。私は七輪に炭を熾し、さんまを焼いた、空には月。家族で事もなく過ごせる有難さ。目線を限りなく低くして、我が家から世界を見つめてゆきたいと思う。

 

 

 

 

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