ページ

2013-09-11

今日もまた・つもりし雪をかきわけて・子孫のためにほるぞうれしき

祝い島・棚田に刻まれた平亀次郎さんの歌碑

オリンピックの是非はともかく(私はスポーツを見るのは好きである)この熱狂ははなはだ気持ち悪く感じてしまう自分がいる。それが何故なのかは、相当な枚数を書かなくてはならないので、ブログでは控える。

 

チェルノブイリの近郊の子供たちに、甲状腺のがんが増え続けていることはほとんどマスコミの話題にならないが、汚染水のことも、具体的にはきちんと知らされない不毛のような、あらゆる情報操作が行われているのではないかという疑念を、私ごときでも感じてしまう。なんとも形容のしようがない、知らず知らずのうちにという無痛思考に流される危うい感覚。

 

私は東京決定を、朝、祝い島でたまたま知ったが、島の人々の話題、日常にはまったく対岸の喧騒という感じであった。個人で物事を深く考える習慣が浅く(私のことです)集団になると付和雷同する国民性のようなものは、奈変に由来するのかとくと考えた方がいいのではないかと、自分自身反省を込めて自戒する。

 

さて7年後、福島の汚染水のことも含め、喉元過ぎればという、あらゆる文明的問題山積はどのように処理されているのかは、神のみぞ知るということになるのだろうか。私の個人的な暴走文明への悲観的な懐疑は、この数十年ますます深まってゆく。

 

人間らしい暮らしや生活は、手の届く範囲の仲にこそあるのであり、その最小の単位が家族なのだという認識の側に私は立つものである。

 

さて、話は忽然と変わるが、この十年以上、(今もだが)安い青春切符で、宮崎に里帰りしてきた。18歳で上京した時に乗った、急行高千穂は25時間かかった。座席が固く御尻が痛くなった記憶がよみがえるが、今の快速電車はその点は全く快適である。

 

急ぐ旅ではない限り、5時間くらいはいまだにこの年になっても、本さえあれば新幹線よりもはるかに落ち着いて本が読める。ところで、昨日までしか使えない切符で少し悩んだのだが、一度ゆきたいとずっと思っていた、四国の金毘羅さんに行くことにきめ行ってきた。

 

おにぎりを作り家を出たのが九時半、戻ってきたのが夕方4時半、7時間の思いつき小旅行。カメラも持たず、タオルとお弁当と御茶と本だけの最低の荷物、車中で昼食を済ませ、金刀比羅の駅に着いたのが12時前、ゆっくりと歩き始めた。

 

途中2回休み、1356段の石段を登り切り、御堂に手を合わせ、しばし昔人になり景色を眺め息を整え、すぐに降りた。駅の近くでソフトクリームを食べ、(足浴ができるカフェで)足を休ませ家路へと引き返した。現地にいたのは2時間少々、車中は読書。

 

リニアモーターカー時代がやってきても、命を運ぶ時間は変わらない。速きことがすべてよしとするような趨勢には、やがて年寄りのくりごとと一笑に付されるに違いないが、61歳一仕事終えた我が身としては、古人のようにのんびりと歩くということを、普段の暮らしの中で取り戻してゆきたい。

 

 

0 件のコメント:

コメントを投稿