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2013-08-30

この夏の最高の思い出、80歳母の水着姿と優雅に泳ぐ姿に思う

80歳、今まさに飛び込もうとしているところ

母のことを少し書きたい。妻の母、知り合って26年になる。1933年生まれの母は今年80歳になった。昨日の朝、猛烈な痛みに急に襲われてお医者さんに行ったところ、腎臓結石と診断された。幸い石が流れ、大事には至らなくて、夕方には家に帰ってきた。

 

退職後、母と話をすることが多くなったことは、以前ブログで少し触れたが、私が介護の勉強をすることにしたのは、多少やはり母のことも影響している。

 

自分の両親、妻の両親。今ゆっくりとこの年で振り返ると、その存在の大きさを自分が歳を重ねるにつれて、日増しに大きくなってきているのを、実感している。戦後生まれの自分のこれまで考えると、母たちの世代の艱難辛苦はとても言葉では、言い表し得ぬものがある、ことを最近私自身、素直に感じ始めている。(晩年は他者のためにほとんどの時間を費やす暮らし。とても敵わない)

 

感じるからこそ、いろんな話ができる時に(自分の親とは出来なかったので)少しでも話をしておきたいという思いが深まってきたのだとおもう。母は5人兄弟の長女で小学校しか出ていない。戦後大陸から引き揚げてきた、義父と結婚し、大工の夫の仕事を支え、二人の娘を大学に出し、仕事一筋の義父が、私の父と同じ2000年他界してからは、私の家の近くで、家庭菜園と洋裁を趣味に、影のように私たちの暮らしを支え続けてくれている。

 

本当に大切なことは、身近なところにある。だがなかなかに人はそのことを意識しない。この数十年、我が家族がまがりなりにも、なんとか穏やかにつましく暮らし向きが続けられているのは、母の存在あればこそなのである。

 

そんなこの夏の一日、帰省していた娘たちと母、6名全員で2台の車で、芳井町の渓谷に川遊びに出かけた。そこで私は信じられない母の姿を見た。それは何かというと、50年ぶりに着たという水着姿であり、もっと驚いたのは優雅に泳ぐ姿(クロール・背泳ぎ・平泳ぎ)を、全員がハッキリと見たことである。とどめの驚きは、なんと小岩から頭で飛び込んだ雄姿、まるで普段とは別人の母を見た。それは夢のような姿として、眼底にくっきりと焼き付いた。

 

足からも娘たちと何度も飛び込んだが、その無邪気に遊ぶ姿は、まさに時空を飛び越えた童女と呼ぶに十二分で、芯から私を驚かし、感動させた。この母が間接的に娘たちを育ててくれたのだということを、今私は思い知しる。

 

小さいころから働いて、本も読む環境になく、あの当時の多くの日本人がそうであったように、とにかく体を使い親の仕事を手伝い、下の兄弟の面倒を見てきた母。

 

まっとうに生きるということのなんたるかを、そばでゆっくりと母から私は学び始めている。本を読むにせよ、学ぶにせよ、根本哲学無く、何のために企画をするかという自問自答感覚はけっして忘れたくはない。うまく言えないが、気晴らし(を否定しているわけではぜんぜんない)的な企画ではなく、他者の記憶の深いところにささやく、琴線に触れる、届く、企画を夢見る。

 
横着をせず、身体をきちんと使って働く、労働の根本を見失うと、それは机上の文化になってしまう。そのような芸術や文化が主流に(そうなっている)なるとすれば、私はその主流からは離れることを潔しとする。知性とは行動し汗をかく中から生まれるように思う。(その典型的な活動として、具体的に25キロにも及ぶ用水路をアフガニスタンの地で10年かけて実現した、中村哲先生は私が最も尊敬する、日本人の一人である)

 
ややもすると頭でっかちになりやすい私自身を、母からの生き方から反省しながら学び、平凡のすごさを、甘受する感性を磨きたいと思っている。水やり、土づくり、温度、観察、手抜きなく、何十年もきちんと向き合わなければあれほどの家庭菜園は出来ない。

 
61歳、まだまだ青二才を自覚するこの夏の終わりである。

 

 

 

 

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