ページ

2013-08-04

介護職員初任者研修を学ぶ夏


75日からおもわぬ忙しい日々を送っている。はなはだ個人的な事なので、終えるまでブログでは書かなくてもいいともおもっていた、(また完走、続けられるかどうかも分からなかった)。

 
講座が始まると突然これまで全く学んだことのないことを、否でも学ばなければならなくなるし、記憶しないといけないことがたくさん出てくる。そうなると、ゆったりと落ち着いてはブログが書けなくなる。軽薄であり、あれもこれもは出来ない不器用な私としては、自分自身講座を最後までやり通してから、ちょっと触れようかと考えていた。

 
だけれどもおおよそ一月、平日9時~5時まで(時に4時まで)講義を(先週から実技が
始まった)受けてまたもややんわりと、私の中で何かが変わりそうな予感がしている。

 
私は今、介護職員初任者研修を受けている。講座は816日(途中御盆休みがある)まで続き、修了式は29日である。だからこのひと月、平日毎日倉敷まで定期券で通っているのである。何故まだ講座半ばで書く気になったのかは、また触れることがあるかもしれない。

 
慣れないことをこの年齢で一から学ぶということは、思っていたより大変だということを痛感している、がしかし、講座を受けてゆく中で、この講座を学ぶことで、私のなかに内的な変化が自覚でき、いまはおおよそ残り後10日、倉敷まで通うことが日々楽しくなってきたのである。

 
妻の提案で何とはなしに始めた講座なのだが、老いてゆくこれからの人生とまともに向かい合う準備として(いまは若輩として多くを語りたくはない)、ある意味で私にとっての大きな夏を過ごしているのである。

 
退職してから6月まで、緩やかに過ごしていたのだが、忽然と忙しい夏に変わり、土日の時間にしかブログを書け(私は精神が落ち着いていないと文章は書けない)ないのである。

 
つれづれに、精神安定剤のようにブログを書くことは、何度も書いているが、ささやかな自己慰安なのである。しかし、このブログも、もろ刃の刃なのだとおもうこともある。(時にバーチャルの虚しさにおそわれる、ヒトは手間をかける、面と向かうということをしなくなった、すべてとは言わないが、間接体験が世界を覆う不気味さに、61歳の私は震撼とする)

 
ITの海に飛び込む覚悟でおおよそ4年前、キィを打つことから始めた。やがて、突然始めたように、突然終わりを迎えるかもしれない。一回こっきりの人生の中での、この間の私自身の緩やかな変化は、どんなに拙はあれ、このバーチャルの空間の中にたゆたっているかとも思う。(ブログを書くことは、恥をさらし続けることである)

 
さて、今一クラス17名(そのうち男性11名)、55歳から70歳までの方達と共に講義を受けているのだが、この方たちとこの夏出会え、同じ時間を過ごし学んでいることは私の中で大きい。皆さんそれぞれの人生を経て参加されている。学ぶ姿勢にこれまでのそれぞれの歩みが集約されて出ている。このことは実に多くの示唆を私に与えている。

 
70歳の男の方の緩やかな発言に感動する。若いころは何かに急き立てられたように、軽薄を絵に描いたように旅に出かけたものだが、この年になると、どこに出かけなくても心の旅は可能なのである。

 
妻のおかげでこの講座に参加できた偶然に感謝している。

0 件のコメント:

コメントを投稿