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2013-07-28

暑いさなか、涼しい朝、第二回人生途上トークとDVD上映会を考える

二十歳の時に買った本・ピーター・ブルックは前人未踏の私が出会えた演劇人

この39カ月、ブログを毎日ではないにせよ書きつづけてきて原稿用紙に何枚になるのだろうか。計算はしないがおそらくはかなりの枚数になるだろう。この間も書いたが、かなりの精神の調節管理にはなっていることは、書いている私自身が一番よくわかっている。

 
12歳まで、限りなく本に触れることがなく、ひたすら遊び呆けていた私の少年時代から考えると、今本の無い暮らしは、ちょっと考えられない。性格の本質的なことはともかく、時代環境要因、多様な芸術文化、ヒトとの出会いで才能もないのに多少とも、私は緩やかに変化してきた(とおもいたい)。

 
311でわずかな時間ではあったが、東北の被災地に立ったことは、今も私の中では大きい。一瞬でなし崩しに、分身である肉親も含め、命、所有していたすべてのものが無くなるという経験をしたことのない、私には限りなく遠い感覚というしかない。がしかし、東北へ足を向かわせた何かが、私の中に在ることは事実である。

 
そのことは、今後これから遺された(どれくらいの時間が私に在るのかは神のみぞ知る)私の歩みの中で、胸に手を当てて考えてゆきたい。

 
さて、今第二回、途上トークDVD上映会を、8月末か、9月頭にはやりたいと考えている。

作品は黒沢明監督の作品の中から選ぶことにした。やはり私の人生で見た中学一年生の時に見た・赤ひげ、や・高校生で見た、椿三十郎、天国と地獄は、少年期から青春期にかけて見た映像作品の中で、私に大きい影響を与えたからだ。

 
映画という新しい娯楽芸術分野が始まり100年とちょっと、こないだのゼフィレリの作品が、おおよそ50年前、そしてこの20年時代環境の激変、CG映像ハイテクの進化は、果たして映画という芸術の人間作家精神を豊かにたらしめているのか否か、はなはだ個人的には懐疑的だ。

 
それは何故なのかは、浅薄な個人的な意見だが、骨太な大きなテーマに果敢に挑む映像作家がいなくなりつつあるということ、(いや私が知らないだけで、世界にはきっといる)すべては商業主義の(これは演劇や文学も含め、あらゆる分野に及ぶ)構造の中にどっぷり人間が取り囲まれている、ということに尽きるのではないかというのが、私の認識です。機器や物に取り囲まれ、深い呼吸がができない危機。

 
退職後、ようやくゆっくりと昔個人的に私に影響を与えた映画を、有難いことにDVDで少しずつゆっくり見ているのだが、戦後、録音技術やあらゆる機器が貧困な中(今と比較すると月とすっぽん)、お金もなく、理解者も少ない中、よくぞこんなにもすぐれた作家魂あふれる映画人たちがいたことに、びっくりしてしまう。

 
61歳の私が生まれる前の作品を(文学、音楽、絵しかり)今見て、ある種の若い時とは異なる冷静な感動を受けるのは何故なのだろう。一言でいえば、作家的精神、(シナリオに人間が書かれている)器の大きい映画人(映画に限らない)がわんさかいたということに尽きる。

 
人間には感動し考えるという、心のバネを神様が与えてくださったのだから、どんなにささやかではあれそのバネがあるうちは、個人的に今しばらくやり続けたい。現在地を確認するには過去を振り返るしかない。私が尊敬する方たちは、悪戦苦闘の中、今も時代に安易に迎合せずその渦中を生きている。

 

 

4 件のコメント:

  1. 日時が 決まりましたら お知らせください

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  2. 私は貴男に失望しました。
    貴男はご自身が興味あることには、外国でも東京でも四国の山奥でも行かれますが、興味のないものには目と鼻の先の会場にも来られないのですね。
    今回は遠く鳥取や蒜山からも友が来てくれました。十数年ぶりに話が出来た友もいます。
    6日間でご案内した中から50人くらいは来場してくれました。
    皆さん喜んで帰ってくれました。
    まったく知らん顔の貴男との落差に、ただただ愕然としています。
    貴男はあまりにも自己中心的で、他の人の気持ちを思いやる心に欠けていると思います。
    この場であまり多くを語りたくありませんが、貴男の企画にはもう関わりたくはありません。どうかそっとしておいて下さい。

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    1. 私は出掛けました。記帳をして帰りました。ごめんなさい。

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    2. 私が出品した展覧会の芳名帳に、彼方の名前はありませんでした。
      出かけたのであれば、私がどんな作品を何点出品していたか具体的に述べて下さい。

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