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2012-12-20

還暦を迎えても自分自身と対話するということの難しさ

雨土の妙なる恵み人に愛受ける身の幸いかにむくいむ(亡き父の書)

この間の選挙の結果については、とても思考がまとまらないので、ブログで書くことは控えます。書くことで私自身が元気になってゆく様なことについてのみ、できるだけ書いてゆきたいという思いなのです。がそこは生身の人間、憤懣やるかたない思いなんかは、やはり、単細胞の私らしく綴ることになるでしょう。

 

ともあれ、話は忽然と変わり、お隣の韓国で初めての女性大統領がうまれました。親子2代の大統領です。経歴を読むと、なんか芯のある毅然とした女性の方みたいで、苦難が人を育てるのだということを、思い知らされます。必然的に日本の政治家と比較したくなるのですが、その差は私ごときがいわなくても、これからを見てゆけば自明の理ということになるのではないかと推察します。

 

艱難辛苦から逃げては、人間は全く駄目になる生き物ではないかと思います。凡夫を自認する私ですが、かろうじていま現在を生きているのは、単細胞であるがゆえに(複雑なことを思考する能力に著しくかけている)これまでの人生、何回か身の上に降りかかってきた困難に、敢えて逃げなかったからこそ今がある、そんな思いの私です。

 

ことほど左様に、人間が与えられている命を寿命まで全うする旅路は、どのような生い立ちに生れようとも、生半可な努力では成し遂げられるものではないということを、いまさらながらに思い知ります。そしてそのことを思うにつけ、これから先の時代は、いろいろなかたがすでに述べているように、覚悟の時代がすでに訪れているように、私個人も感じています。

 

そのままならない時代の渦中を、ささやかに個人的に一日一日、きちんと生きてゆきたいという思いが、私をしてブログを書かせているのではないかという認識です。ある意味では、今という激動の時代をいきられるということは、逆説的には過分なことかもしれないという思いにも駆られます。

 

覚悟を決め、丹田に気を送り、身体を動かし、自分の身体と対話する。揺らぐ自分自身をすっきりと、毎日建て直し確認する。口で言うのは、政治家のように簡単ですが、毎日継続するためには継続した者にしかわからない、ある種の困難を伴うのも事実です。そこが分かれ目、かもしれません。

 

鍛えるということはいろんな方がよくやっておられますが、自分自身と対話するということは、実に難しいことだと、今もつくづく思い知らされています。

 

明らかに極めるのか諦めないのか、思案できる間は、か細い頭で思案したく思います。

 

 

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