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2012-12-13

可能な限り、第一次労働を続けたいと思います

いまは亡き星川哲夫氏が作った魔よけのフクロウ

還暦を迎えている、いわゆるオジサン世代の体力というものの標準値がどれくらいなのかなんてことには皆目興味もないのだが、自分の現在の体力がどれくらいなのかは、50代に入ってからかなり意識するようになってきた。父がなくなり、私の中に意識の変化が起こり、40代までのライフスタイルを変えようと思ったことがきっかけである。

 

だから私はいよいよ60代に入っている今、これからの肉体の変化と、意識の変化に、より自覚的でありたいという思いが、年々増してきている。せっかくの今という時間を無様であれなんであれ、わずかでも前向きに尊敬する、諸先輩をお手本に生きてみたいという願望が一段と強くなってきたのだ。

 

夢が原で働くのもあとわずかになってきたのだが、この21年間私がこんなにも健康に生活できているのは、夢が原で働き、オフィス仕事には程遠い、ひとえに身体を動かす仕事にかなりの時間を割いてきたからではないかと考えている。

 

40歳で東京から移住し、あらゆるやったことがないいわゆる肉体労働にこの21年間、従事してきたおかげで、私の身体は都会暮らしをしていた40歳までとは、自分でも見違えるほど健康になった。如何に身体を使うということが大切であるかということを私は身を持って経験してきた。動き出来るということ、苦楽の喜びというしかない、薪割りなどの単純労働の奥深さというものが、かすかにだがハッキリと自覚できたのだ。

 

つまり自分自身の身体というものの使い方が、多様な肉体労働をする中でわかり、足・腰・頭が繋がっている、自分自身の身体を再発見できたのだ。

 

このことはおそらく、夢が原で学べた最大の財産としていよいよ晩年ライフに活かされてゆくことはまず間違いない。歩いたり食べたり座ったり読んだり、いわば極めて当たり前のことが、いかに複雑な仕組みの中で成り立っているのかということにたいしての気づき。

 

来年からは夢が原でやっていたような、肉体労働とは無縁になるわけだけれども、身体を動かす生活の大切さは、身にしみて分かっているので、これからの人生は健康に身体が動く時間を全財産とし、無理なく体を動かし、声を出し、本を読み、書道に親しみ、妻とガーデニングや菜園を育て、そして、ときおり企画をする。

 

昨日も師走の冬空の中、松林の中から間伐材の松を肩に担いで出すのを、半日やりました。新鮮な空気を吸いながらの労働は、下手なトレーニングジムに通うより、お金もかからず最高なのです。血液も循環し冬空の下での何とも気持ちのいい時間を、職場で過しています。

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