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2012-12-01

師走、初日の朝に思う

福島の友人に連れて行ってもらって見た2月の海岸近くの風景

この数年は、私の個人史にとっては、オーバーではなく激動の時間が流れたのだなあ、と、いささかよく乗り切ったという思いに駆られながら、ブログを師走初日の朝に書きとめる私です。

 

いきなりの、予期しない園長職の拝命から、突然の東北の大震災・原子力事故。その渦中で企画した・光。人生で初めての入院。そして、邦楽番外地をなんとか乗り越えた今、なんとも言えない、安堵感が私の全身を包んでいます。

 

限界という言葉があるとしたら、私なりの限界をかろうじて泳ぎ切ったというところでしょうか。先日も書いたように、今はまだ振り返らずの心境なれど、これまでの人生で苦しい思いに駆られた時は、安易な選択をしない道を選んできた、私です。

 

こうやって意識がいまだ活発に動く間は、おそらく安易には妥協したくない、という思いが天の邪鬼という意味ではなく、私の中でより明確になってきつつあるという気がしています。企画できる間は(やがてできなくなるのだから)しなやかに、方法を模索したいのです。

 

邦楽番外地を乗り越えることができたのは、これまでの人生で培ってきた、私の企画を応援してくれる方々の存在、私の友人知人、そして家族。これらの大いなる力の支えあればこそ、私は妥協しないですれすれの企画を持続できている、このことに関しての感謝は、五十鈴川だよりに、きっちり刻んでおきたいと思います。

 

人は安きに流れる生きものと、いういい方もあるかもしれませんが、少なくとも私がこれまでの人生で出会った素敵な人、私に感動を与えてくださった人間は、安易には妥協しない(私の父がその典型)人たちなのです。

 

父は、一人でも信念を貫けと言っていましたが、小さいころの私はそんなことができるわけはないと思っていました。でも今還暦を迎え思います。幼少期、父が私に浴びせた言葉のなんという重み、をこの年になって思い知り噛みしめる私です。

 

親戚より、友を大切にせよ。何度も書いていますが、これも亡き父が繰り返し私に語っていました。今はただ、冥界にゆかれた、無数の素敵な死者たちの声に耳を澄ませながら、生きているものとして、勇気を頂きながら、自分の中で発酵してくる、次なる・もの・をまちたく思います。

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