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2019-01-13

今年からシェイクスピア作品、遊読群読輪読会を始めることにしました。

先日、今年初めての遊声塾のレッスンが、私を含めて6人で行われた。レッスンに先立っておそらく初めてのことだと記憶するが、年頭に当たって一言それぞれ塾生に語ってもらった。

各人らしい一言が聴けて、私の中で今年もこの面々と共にシェイクスピアの言葉を声に出し続ける決意のようなものが、にわかに湧き上がってきた。

そして、ロミオとジュリエットの1幕から3幕までを新鮮に声を出し、初レッスンを終えた。なんとも言えない充実感、今年もこの面々と登場人物の声を出しあって過ごせる、健康であるがゆえに味わえるひと時に感謝した。

さて、今年から新たにもっと気軽に、シェイクスピアのあまり知られていないない作品に触れられ場を設けるべく、年に5回から6回くらい、十数人くらいを限度に、群読輪読会を実現しようと意図している。

数十年遊声塾を始めるまで本棚で眠っていた(素晴らしいというほかない)。
何はともあれ、まず第一回目を3月か4月にまでにやるために、何人かの仲間に相談したいと思っている。(簡単な呼びかけチラシを2月中には作るつもりである)

とりあえず古希を目標に、節制を心かけ声を出す(出せる)喜び、楽しみの持続、そしてもっともっとシェイクスピア作品の魅力を私自身が学びたいという気持ちが、にわかに湧いてきたのである。

遊声塾のレッスンの中で始めた、輪読の楽しさを、知ってもらうために 、そしてシェイクスピア作品のそのあまりにも豊かな日本の言葉の豊かさも体感してもらうべく、と考えたわけである。

より一歩前に出ることで、思わぬ出会いがあるやもしれぬ、との淡い望みもどこかにあるのは否めない。

ま、ともあれ理屈ではなく、湧いてくる熱のようなおもいが、いまだ私の中に在ることにしがみついて、新たな展開に、カッコつければ挑みたいのである。

結果などはどうでもいいとは言わないが、遊声塾だって単なる思い付きがこのように継続しているのであるから、まずは思いついたら吉日、始めるにしくはなしである。


2019-01-12

那須塩原に住む友からお手紙をいただき、そして想う。

私が30歳の夏、これからどう生きてゆこうか途方に暮れていた時に、倉本聰氏の北の国からの撮影で使われた富良野の丸太小屋に逗留していた時、(富良野塾に入る前)当時北大生であったI氏からお手紙が届いた。

昨年暮れ、私が送った干し柿のお礼が、すぐ氏とわかる文字で文面がつづられていた。君子の交わりは淡きこと水の如しというが、こういう古い関係性の時折の間接手紙やり取りが、現在の私には最も重宝に感じられ、うれしい。

(老いてゆく中での、落ち着いた時間の中でゆっくりと熟成するかのような、淡いたまさかの互いをおもんぱかる交流 )

この数十年のインターネット革命の渦中をしり目に、何とか生き延び(私は今もその時代の渦中を、その予測もつかない未来社会に、どこかかすかに不安を覚えながらも)今後ますますその渦の中からは、遠くに在りたいと考える初老の輩にとって、お手紙はやはり心の深くに届く。

干し柿が手間暇かかる様に、お手紙もまさにそのように、ゆったりととした時間の中で相手をおもんぱかりながら、書かれたものはおのずと繰り返し読むに値し、じんわりと行間に今現在の彼の暮らしの心境がしのばれる。

出遭って後36年、氏の人生にも様々な風雪があったに相違ないが、ひょうひょうとした温和な物腰や態度は変わらず文面ににじみ出ている。このような激動の時代、移ろいゆかざるを得ないさなかの、関係性の持続は稀な事、ありがたきというしかない。

手紙は立ち止まって、お互いの過ぎし来し方を 想像させる。お正月の五十鈴川だよりに対する、コメントも綴られていてありがたかった。

朋遠方より来たりまた楽しからずやというが、お手紙遠方より来たり、またうれしからずやといったところ。

万年筆や、墨をすってのへなちょこ文字であれ、何か自分らしさが浮かび上がる文面が書けるようになるには、どうしたらいいのかも、またこれからの老い老い生活の楽しみとしたい私である。

デジタルでキィを打って書く、手で文字を刻む。この併用の加減バランスこそが私には望ましい。五十鈴川だよりを書くために始めたキィボードたたきであるが、老いながらも随分と早くたたけるようになった。

もう早く書く必要のない私には、手で文字を書ける今後時間をこそ大切にしたいと考える。I氏に返信を書きたい。


2019-01-09

今年も絶対矛盾を抱えながら、生活者として少しでも学びたく思う。

お正月は2日に母と妻と次女の4人で温泉に、5日はレイさんと娘と望晃くん、妻と母と6人で渋川動物公園に出掛けたくらいでほとんど家と近所の散策で、極めてのんびりと過ごし、ゆっくりと過ごした。

一昨日から本格的に普段通りの暮らしに戻りつつある。昨日は夕方今年初めて弓道場に行き、たまたま私一人だったが約一時間弓をひいた。(空に瞬時三日月が見えた)

もう間もなく弓を始めて2年になる。ようやっと的前に一人で立てるようになったことに、いうに言われぬ、私自身の思いがある。

一人、的前に立ち、まるで年齢にあらがうかのように背筋を伸ばして、身体とと心を的の中に見据えて矢を放つ。(あらゆる負荷が体と意識にかかる)

なかなかに的には当たらない。ただただ現在の持てる力を振り絞り的に相対する。このひとり時間がなんとも言えない心の落ち着きを私に与えてくれる。

今年も何とか週に数回、道場での時間を持ちたいと思っている。弓は私に感覚を研ぎ澄ます修養の一時を与えてくれる。いやでも自分と相対するようになる。弓を始めなかったら味わいえなかかった感覚である。

さて、今夜から遊声塾 のレッスンが新たに始まる。今現在の体と心で、今年も可能な限り新鮮にシェイクスピアの言葉を声に出してゆこうと行こうと思う。

シェイクスピアの言葉をより深く落ち着いて体感するために、長いセリフや気に入った言葉を書き写すことを、昨年のリア王から始めたのだが、今年も可能な範囲でロミオとジュリエットの登場人物の長い言葉を書き写すことを継続したいと思っている。
生きたいように生きるがよろし、私の場合は一生活者として。

だが、いささかの絶対矛盾かもしれないが、本質的には怠惰でいい加減な私をどこかに自覚し続けながらも、18歳から世の中に出て何とか生き延びている私である。

その中で今私が一番大切にしたい(している)ことは、トータルに普通の生活者として極めて普通に生きることである。

若い時には、芸術や文化的と思える世界(先日も書いたが結果的にそれが良かった)に、逃げ込むかのように生き急いでいたが、それは中世夢が原退職と共に卒業した。

この6年ゆっくりあらゆることをリセット。18歳には戻れないが、気持ちは原点帰り、まずは身近な家族を中心にしての 、一庶民としての生活者になる。(つもりだ)

普通ということは、どのようなことが普通であるのかのことはさておくが、私なりの普通を生きると思うだけで、芸術や文化的な事には生活者として(の視点で)かかわってゆくということである。

素晴らしい芸術や文化遺産ははシェイクスピアを持ち出すまでもなく、燦然と 世界の宝としてそこにあるのだから、一生活者に滋養を与えてくれる芸術や文化をこそささやかに、限られた時間、地に足をつけて今年も学んでゆきたいのである。


2019-01-07

ちょっと寂しい、普段通りの我が家になりました。

約11日ぶりに夫婦二人だけの静かな朝を迎えている。昨日午前中娘夫婦と望晃くんを岡山駅まで送ってゆき、元の生活に戻り、我が家のお正月も終わった。

私の中でも 普段通りの生活に戻る。2019年ははたまたどのような年になるのか皆目わからないが、確実なのはまた一つ歳を重ね、緩やかに死の世界の方にシフトしてゆき、自分の現在地を確認しながらの、日々を送ることになるだろう。

昨年、ネガティブケイパビリティ(うまく翻訳できないのでそのまま)という言葉を本を読んでいて知ったが、身体が老いてゆく中での成熟ということ について、可能なら考え続けながら、日々を送りたいと思案する。

私の書くことは、ややもするとオーバーになりがちであるが、どこか妄想性というか、ここではない、どこかあらぬ世界のことなどを想像する癖のような体質がないと、臆面もなく五十鈴川だよりのような、あるがまま、わがまま拙文はつづれるものではない。

この数年、書き始めるまでほとんど何も考えず、書き始めると何やらの一文を綴るような按配。自分の中の何か(おそらく存在の不確かさ)を鎮めるための、いまわの際的、おまじない五十鈴川だよりになりつつある。(ような気がしている)


凄いスピードで娘の離乳食をほうばる望晃くん、生命力そのもの。
さて望晃くんの 生誕で、現実におじじとなりいやでも孫の存在は、現在の私の今後を多面的に照らす道しるべのようにさえ時折感じている。

とはいっても、私は単なる爺バカになるつもりは毛頭ない。只今感じているのはただただ一人のおじじという人間として、恥ずかしくはないおじじになりたいという、極めて普通の感覚がより深くなってきつつある。(とおもう)

最後の日の夜、家族のこれまでのささやかな歴史である写真のアルバムを、レイさんや娘妻、母と共に夕食後見入った。

現在の望晃くんと同じくらいのころ、私が娘をお風呂に入れている写真 に見入った。あれから30年近い歳月の末の現在である。

様々な感懐に私がふけるのも致し方あるまい。事実は小説より奇なりである。つづっていると妄念が、妄念を呼ぶ五十鈴川だよりであるが、今年も静かに、時に流れに逆らって老い力を蓄えるための方法を思案したい。

2019-01-05

古希を見据えながら日々を送りたく想うお正月。

次女は3日に帰京したが、長女家族は今日までいるので、母も含め6人で午後出かけようと思っている。

今後も繰り返し書くことになるかと思うが、世の中に出てから演劇などという、想えばあまりに不安定な世界に十数年身を置いていたがために、よもやまさかこのように普通に家庭を持ち、子や孫に囲まれてのお正月が望めるなどとは、思いもしなかった私である。

本質的な事はともかく、人間は歳と共に外見も中身も、環境も含め多様な関係性で、まるでカメレオン(私の場合)のように変容 してゆくことを、ことさらに実感している。

若い時に、自分が望んだとはいえ、あまりにも背伸びを、挑戦を繰り返した(いま振り返るとそれが結果的にはよかったといえる)がために、幸福感のうすいみじめな生活を余儀なくされたが、今現在のあまりに普通での人並みの暮らしが、にわかには信じられない私である。
レイさんと娘たちがプレゼントしてくれたキンドル

37歳の時娘に恵まれ、私の中で何かが壊れ、新しい自分と巡り合い(今考えれば)その後は脇目もふらず子育てと思いもかけぬ仕事に邁進し、いつしか演劇的世界のことなどとうに忘れていた。

子育てに一区切り、61歳で企画者としての仕事にも一区切り、どういう風の吹き回しか、再び若き日情熱を傾けた、シェイクスピアの日本の翻訳された言葉を声に出し続けて丸6年がすぎた。

若かったあのころ、私にとっては大変な生活ではあったが、その間に学んだことが、今の私の初老生活の核になっている有難さを、深く痛く感じている。

ギリギリの生活の中で身体を通して学んだことや、つかんだことは、ヒトの体の奥深くにしっかりと根付いているのを実感する、無駄飯は食っていなかったのである。

一回こっきりの人生を、まるでフィクションのように、夢とうつつを往還し、演劇的に生きることの豊かさ の方法のようなものを、いよいよもって自由に、老いてゆく時間にこそ大事にしたいと思う。

そういう意味では、若いころの苦労は買ってでもせよと、今は亡き父がよく口にしていた言葉の重さの意味を、ようように感じている私である。

考えてみると、四捨五入すれば古希が間近に感じられる年齢に私もなってきた、そのことをどこか他人事のように感じながらも、時折冷厳に時が流れている現実を今更のように厳粛に受け止めている。












2019-01-03

妻と共に初詣で、そして想う。

元旦にちょっと驚きのサプライズがあり、今年は次女にも良きことが起きそうで、年明け早々我が家は笑顔に包まれた。

その余韻を胸に、昨日の朝妻と共にいつも初日の出を見に行く近所の山にいった。二日なのでもちろん誰もいない 。見事な初日の出を望むことがかなった。

朝一番、静寂の中神々しいというしかない光を浴びると、この年齢でも何やら神妙な面持ちになり、特定の宗教を持たない私だが、そっと何かにすがるかのように祈ったりするのだから不思議というほかはない。

先のことはわからないが、歳を重ね、死を間近に感じたり、何か大きな出来事があると人は宗教に帰依したりするが、ややもすると自分にもそのような感覚が育ってくるのかもしれない、などとも思ったりもする。

いずれにせよ、娘たちが伴侶に恵まれ子供が生まれ、家族の体をなすにしたがって、私と妻はいやでも老いの役割(夫婦としての身の振り方)のようなことを、おのずと考えるようになってくる。

そのことが、わが夫婦の老いてゆくこれからの時間を豊かにしてゆくために、どのように過ごしてゆけばいいのかを、考え続けねばならない、(のである)。
23年前買っていた本、アップするのは二度目、いま沁みるように読める

話を変える、だがささやかに私自身が情熱を傾けている、シェイクスピアの音読や、弓の稽古、ほかも、身体の衰えを少しでもカバーしながら、継続持続を図るべく、より繊細に時間を大切に過ごしたいというふうに考えている。

ということで、昨年五十鈴川だよりには書いたのだが、義理的な年賀状はもう書かないということにしたのだが、いただいた方には、墨をすって 全て手書きで昨日投函した。

まるで時代遅れの手書き年賀を書いてみると、これがまた驚いたことに、実に新年書初めのような感じで愉しく書けたのが意外で、おそらくはこれから減ってゆくであろう年賀状は、年が明けてますますゆっくりと書くことが一番であると認識した。

また一つ老いてゆく中での楽しみを見つけたようにさえ思えたのである。孫の望晃くんにも、墨をすって文字を書くことをささやかに伝えられるおじじでありたいのである。

ナイフで削るとか、火の起こし方とか、極めて人としての原初的な基本的たしなみをわが孫に伝えたいのである。意外や意外、孫がおじじを活性化させお役に立てるのであればこれこそが老いてゆくものの、自然なサイクルの在り様ではないかとさえ、私は思うのである。

ともあれ、今年も五十鈴川だよりを書きながら、自問自答しながら右往左往の蛇行を繰り返しながら、老いつつなるべく日々を新たに過ごしてゆきたい 。

2019-01-01

2019年、あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。わが拙き五十鈴川だよりを読んでくださっている方々に、こころからの新年のお祝を申し上げます。

何はともあれ、新しき年が明けました。いつまで五十鈴川だよりが書けるかは存じませんが、今年もとりあえずは書ける情熱のある自分がいることを緩やかに確認しながら、うちの中に湧いてくる言葉を通して、日々の自分の揺れる在り様を綴りたく、と祈っています。

この数年近所に初日の出を眺めに出掛けていますが、今朝は望めるでしょうか。望めなくても3が日のうちには望みたく思っています。

毎日日は昇り沈むわけなので、時に、ことさらにとは横着な私などは思うのですが、やはり年が改まると、一つの長い伝統の厳かな儀式として、大切だと思う気持ちは年々深まってきます。

この年齢になると、やはりどこか体がいつおかしくなっても当たり前、相応なのであるから、そうなった時になるべくうろたえないための、なにかを少しでもわが心と体のどこかに、蓄えられたらなあ、と今年も念頭に当たりおもう私です。

ともあれ、昨日は家族全員で極めて当たり前ごく普通に健康に年越しができました。とくに母が健康に、年越し小宴会に元気に参加できたこと、またそこに昨年までは存在しなかった望晃くんが加わったことも含め、あきらかにわが家族もそれなりの変容を、生きています。生きていることはまさにそれぞれが変容してゆくことにほかなりません。

ですが、この厳しき時代の趨勢のなか、全員そろって笑顔で過ごせたこと、その一点における我が身のありがたき幸福に感謝しました。

健康に動けることをはじめとして、極めて当たり前、当然だと思えることが、実はまったく当たり前ではないという、極めて深い気づきは、私の場合歳と共に感じています。

もう何度も五十鈴川だよりに書いていますので、ことさらに書くことは控えますが、おそらく今後もまた、永遠と一日的な感じを、私が持てるような感覚がある間は、繰り返し書くことになるのではないかという気はしています。


ところで、いつものように話を変えますが、先日養老孟司先生と、CW・ニコルさんとの対談集【身体を忘れた 日本人】という本の中で、養老(いい苗字ですね)先生が、世界が変わらなくても、自分が変われば世界は変わって見えるということをおっしゃっていました。

然りと、私はうなずいたのですが、バカの壁的に自分という存在を枠にはめるのではなく、いい歳をしてなどという世間的な色眼鏡に惑わされることなく、歩みは遅くとも、ささやかに変化しながら、自分にとっての気持ちのいい過ごし方を心かけながら生きてゆきたく思う、年頭のわたしです。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。