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2023-07-05

田代隆秀氏、シェイクスピアアシアター時代の先輩の芝居を40年ぶりに見ることができました。そして想う。

先の上京で、わたしは親友の発表会の後、共に早稲田にある、【早稲田小劇場どらま館】で作・演出・河合祥一郎【悪い仲間】をみた。その芝居にその昔シェイクスピアシアターで共に何度も芝居をしたことがある、田代隆秀さんが出演していたからである。

悪い仲間に、田代隆秀さんが出演することは、上京する数日前のM新聞の記事で、妻が見つけたのだが、その記事の写真のなかに、見覚えのある顔が、田代隆秀氏であった。親友の発表会の日の夜が初日だったので、俳優座について当日予約の電話をいれたたところ、空席があり席を田代さんがすぐに用意してくれたのである。

実は田代隆秀先輩は(私より二つ年上)20年前、旅公演で西大寺に来たことがあり、その際わざわざ私の家を探し、訪ねて来てくれたことがあるのだ。その事が急に鮮明に思い出され、なんとしてでも会っておこう、観にゆこうと思ったのである。

親友の発表会、田代さんの芝居、あまりのタイミングの良さに、これまたシェイクスピアのお導きだ、と思うことにしたのである。

20年ぶりの再会、そして40年ぶりに隆さん(と、当時呼んでいた)の舞台を観ることになろうとは。まさに人生は筋書きのないドラマである、というしかない。

やはりわたしは演劇が一番好きである

結果、行って本当によかった、隆さんは私の予期せぬ観客としての訪問、をとても喜んでくれた。気鋭のシェイクスピア学者であり、翻訳者である、河合プロジェクトvol8【悪い仲間】、チラシにはこうかかれている、シェイクスピア最大の喜劇的人物、フォールスタッフとハル王子をモチーフに現代の戦争問題に迫る。とある。このような芝居に隆さんが現役バリバリで出ていることがなによりも嬉しかった。シェイクスピアの台詞を語るにふさわしい、河合先生のお眼鏡に叶う俳優だからである。(7人全員よかった)

一言、ウクライナでの戦争が始まって以来、私が岡山にすんでいてほとんど演劇を見にゆく生活をしていないので、東京の演劇状況はまったく知らないが、シェイクスピア作品の多くから台詞を引用し、要所要所河合先生の創作も入っている、まさに時機を得た芝居でわたしは浦島太郎なりに、演劇の魅力を堪能した。

上演時間1時間40分、登場人物7人(女性二人)で一人4役位をとっかえひっかえ兵士から王様、王子、フォールスタッフ、主婦。女性兵士等、瞬時にシーンが変わり役を演じ分ける。演劇ならではの斬新な演出の舞台をわたしは眼底に納めた。始まりとラストが秀逸。

早稲田小劇場どらま館は小さい芝居小屋、客席数は70席くらいだろうか。初日ほぼ満席だった。わずかな観客とこのようなもっとも不条理極まる戦争をテーマに絞り、シェイクスピア作品の言葉から現代を照射した舞台を創造した演劇人の心意気を、きちんと五十鈴川だよりに打っておきたい。

そして想う。20代の終わり、明けても暮れてもシェイクスピア作品と格闘した3年間がなかったら、いまだにいろんな翻訳でシェイクスピアを音読するなんて事はできないし、やることも思い付かなかっただろう。止まれ、隆さんとの再会、親友とのレッスンは、シェイクスピアを再び音読したくなるには、十分な刺激となった。舞台がはね、隆さんと40年ぶりにわずかな時間ではあったが、早稲田の狭い満員の焼き鳥さんのカウンターでビールを飲んだ。

40年ぶりではあったものの、一気にあの当時にタイムスリップ、会話がこぼれ、旧交を暖めることができた。40年ぶりに見た舞台の隆さんは、舞台人人生を見事に積み重ねて、ひときわ輝く、老いの花を放っていた。カッコよかった。

ほろ酔い気分で次女のところへ帰る中央線のなか、意外や隆さんからショートメールが入った。楽しかったでごわす、と。(歳月は流れたが隆さんらしさは変わっていなかった)次回は事前に上京を知らせろと。私も必ず知らせると返信を打った。

PS 田代隆秀氏は、知らなかったが、昨年読売演劇大賞優男優賞を受賞している。心よりおめでとうございます。



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