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2022-11-23

東京に帰る日の朝、次女のマンションで五十鈴川だよりを打つ。

 三鷹にも吉祥寺にも歩いて30分くらいの距離に、次女の住むマンションはある。長女のところにも、次女のところにもリーディングルームがあるので、私は娘たちのところを訪れる度に五十鈴川だよりを打つ時には、このリーディングルームを使う。

雨のマンションでお散歩からかえっておやつを食べる葉君

今朝はまだ誰もいない。まるで我が家のように落ち着いて文章が打てるのがことのほかありがたい。デジタルにはまるで弱く、自宅以外では五十鈴川だよりを打ったことはなかったのだが、昨年古稀の生誕プレゼントに、娘たち夫婦4人がタブレットをプレゼントしてくれたお陰で、家以外でもタブレットを持参、このようにどこでも気が向くときに打てる。

今日は岡山に帰る日の朝である。昨日の青空が嘘のように、一転雨で気温も低く、予報では10度くらい気温が下がるらしい。いよいよ冬間近である。もの悲し秋の草笛、なんてフレーズが古稀男の頭に浮かぶ。雨に濡れた落ち葉と冷たい雨は、いやでもある種の感傷に、私のようなタイプは耽ってしまいがちである。

だが、今回の上京旅といい、前回10月の沖縄での旅といい、二月連続で私にとっては実りの多い旅となったお陰で、陰鬱な雨模様なのだが、私の心はどこか穏やかに岡山に帰れそうである。今日は次女家族とお昼を済ませ、夕方には岡山に戻る。長女のところに3泊、次女のところに2泊した。野暮を承知で打たせていただくが、娘たちの旦那さんとの相性関係性がスムースでなかったら、なかなかに心からの安心感をともなってのステイは、この時代なかなか難しい。

だが、ありがたいことに、私の場合ほとんどなんの気兼ねもなくステイできるのは、二人の義理の息子が大人だからである。時代について行けない、ついてゆく気もないデジタル音痴の私であるが、どういうわけかデジタル世代といってもいいのに、義理の息子たちとの関係性がスムースであるのが、どこか私には不思議であり、又ありがたいのである。

ほとんど浦島太郎といっていいほどに、世間とはずれあっている感覚を、私は常に感じながらとりあえず自分の居場所で、生活している。そのような古稀男の私が10年ぶりに突然変異のように、企画が辛うじてやれたりするのは、娘たち世代との信頼できる関係性があればこそである。

おそらく来年の多嘉良カナさんの企画も、娘たちとの関係性があればこそ実現できるのだと、想うとうれしい、ただその一言である。多嘉良カナさんのチラシ用の写真も、T氏のご尽力で届いた。ワールドカップが始まりどこか騒がしい世相だが、生活まるごと抱え、しずかに日々の生活を基本に、来年春の企画を見据え、牛歩で老人らしく進みたい。

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