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2022-08-28

8月28日午後、次女の住むマンションのリーディングルームで五十鈴川だよりをうつ。

 木曜日夜から、上京して次女のところにステイしている。あっという間に3泊して、今日日曜日午後、ちょっと時間がとれたので、次女の住むマンションのリーディングルームで五十鈴川だよりを打っている。(明日からは長女のところにステイ、来週水曜日帰ります)

もうすぐ長女が息子と共にやってくるので長い文章は打てないが、ちょっとでも忘れない内になにがしかの文章を打ちたいのである。次女のはじめての子供は昨年夏コロナ下に生まれ、今も終息の見えないコロナ下、元気に一歳と一月を迎え成長している。

次女の住むマンションのリーディングルーム

長女の子供は4才と五ヶ月で、昨日夜約一月ぶりに、お父さんのふるさとのドレスデンですごし帰ってきたばかりなのだが、時差にもめげずやってくる。コロナ渦中であれ何であれ、時は流れ、私にとって宝のような二人の孫は、ぐんぐんぐんぐん成長し、その姿の眩しさは到底言葉では表し得ない。

つくづく想うのは、この年齢ならではの果報のようなひとときを、二人の孫は存分に私に与えてくれている。その事の喜びを、わずかではあれ五十鈴川だよりに打たずにはいられないのである。爺バカと言われようが、なんと言われようがかまわないのだ。爺ならではの喜びとでも言うしかない、じじにならなければけっして味わえない果福を二人の男の孫はもたらしてくれている。

あるところで、現代は家族氷河期のような時代を迎えているとの一文を目にしたことがある。果たしてそうなのであろうか。そういった面も多分に時代的にはあるのかもしれないが、私は家族を持てた喜びを、限りなく時代がどうであろうと、時間の許す限りその果福を、苦楽を、共に味わい、生きてゆく覚悟を古希の体に込めたいと願うのである。

幸い、古希前の大きな手術を乗り越えた私の体は、自制心がいたについたお陰で、以前にもましての健康体を取り戻しているの。これからは一年でも長く、心とからだのケアに腐心し、東京二家族の行く末を一年でも長く見守り、お爺の役割とはなにかを自分に問いかけながら過ごしたいと、思わずにはいられない。二人の孫は私のこれからの人生の足元を照らす存在である。

これ以上打つと、限りなく野暮になるので控えるが、以前も打ったのだが二人の義理の息子の素晴らしさは親バカとあきれられても、やはり打たずにはいられない。二人の娘の夫はデジタルに強い。私はまったく弱い。そのような私ではあるのだが、五十鈴川だよりを打つのを応援してくれる。このリーディングルームで五十鈴川だよりを心置きなく打てるように、あっという間にしてくれた。心強いという他ない。

(と、ここまで打って長女がやって来たので、きょうの五十鈴川だより、本日はこれにて)

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