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2022-08-07

酷暑のなか、出会って45年K氏との緣への感謝を綴らずにはいられない、朝。

 K氏のことは、五十鈴川だよりを打ちはじめてから何回か打っているとおもう。26才の時に、ロンドンのアールスコートのユースホステルで出会って以来の仲だから、45年の付き合いである。一口に45年、この年になるとやはりある種のいわく言いがたい感慨にとらわれる。

何度読んでも感動する

年はいくぶんとったという気はするものの、未だ今をふうふういいながら生きている私としては、過去を振りかえっておじいさんぽい感傷に耽るのは、いささか面映ゆいという感じもするのだが、そうそう五十鈴川だよりで落ち着いてK氏のことに触れる機会もないのだから、思いついた時に打っておこう。

おおよそ半世紀近く、関係性が切れることなく続いているということの、まるで奇跡的な事実に私はどこかであきれつつも感動し、何故氏との関係性が持続しているのかは、自分でも謎のようにわからないというのが、正直なところなのである。でもそれでいいのである。まっさらで利害がまったくなく会っていて疲れない仲なのである。

K氏は私より二つほど若いが、ほぼ同世代である。生まれは東京の江古田と記憶する。まったくの都会っ子であり、田舎者丸出し宮崎の山猿育ちである私との緣に、私は不思議なおもいに誘われるが、関係性は歳を重ねるにしたがって、言うに言えぬ微妙な深まりを感じるのである。

45年の歳月、あざなえる禍福が流れた。何度も関係性が切れても不思議ではない事態が訪れたのは事実だが、復縁力とでも言うしかない運命的な力が作用して今に至っている。分析したりする能力が私には欠如しているし、今となっては若いときからの私の無謀とも言える生き方を知る、数少ない友人として大切に存在していてほしいと、願うばかりである。

この春、10年ぶりに企画が叶ったのもK氏の存在が大きかったのは、私が一番わかっている。何かを企画するときにはいろんな事を考えなければならない。K氏の揺るがない私に対する応援力なくしては、ああもスムースに事は進まなかっただろうと想う。勇気や、やる気は大切な存在無くしてはけっしてうまれないのである。

おたがい孫を持つ年齢となり、その関係性は一段と風雅な趣を見せ始めたようにさえ最近は感じ始めている。それほどにまで、若い頃とは異なるいい感じの力の抜けた関係性が育まれていることへの感謝は例えようもない。

最近は、ラインでのやり取りが多いのだが、新聞記事をよく送ってくれるK氏である。心が動くから記事が目にはいる。送ってもらえ記事を共有できる、幸福である。新聞をよく読んでいないと、ああはまめに送れない。他者の痛みに敏感である。お互い若いときよりもずっと。だから、関係性がふかまるのである。中村先生に関する記事なども含め、どこかに自分のなかにも、琴線に触れる心がゆさぶられることがあるからこそ、新聞記事を送ってくれるのだろう、と想う。この酷暑のなかメールのやり取り、涼やかな風が私の体のなかを吹き抜ける。このような私利私欲のない、どこかいつまでも純で子供っぽい友人が存在していることへの感謝を、五十鈴川だよりにきちんと打っておきたい。

人は生涯に家族友人知人含め、何人のかけがえのない人と巡り会えるのであろうか。K氏は間違いなく私が今までの人生で出会えたその中の一人である。【歳月に・おもいをはせる・酷暑かな】



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