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2021-10-14

明日から故郷に帰省する。今日は午後、音読自在塾4回目のレッスン、がある朝に想う。

写真 BYKAYO 4回目のレッスン  

 音読自在塾を立ち上げて、やはり好きなことがコロナ渦中でもやれる、情熱が集中して他者との関係性の中で、稽古ができる在り難さを、(この年齢だからかもしれないが、あるいはこれは私だけのことなのであるかもしれしれないし、まあ、どうでもいいことではあるのだが、)かみしめている。

今日は午前中肉体労働仕事、午後は4回目のレッスン。五十鈴川だよりが打てたら、わずかでも音読し、午後のレッスンに備えたい。音読塾をはじめてから、オセローやハムレットの、すべてではないが、10行以上はある音読したい長いセリフをボールペンでノートに書き写す作業を始めている。

音読したり、書写するにはかなりの集中力が要る。軽薄で集中力が弱い私のもって生まれた性格を一滴ずつでも持続的に直し、自分自身との対話を重ねながら、登場人物の吐く言葉を想像するのに 書写は、私の場合とても有効なのである。

時間はかかるが、(当たり前だがその間ほかのことはできない、時間は一定である)好きな音読のためだし、Kさんとのレッスンを意味のあるレッスンにするためには、絶対的に必要だと私は思っている。

このデジタルオンライン時代に、何たる時代錯誤と、時に思わないでもないが、自分なりの方法とでもいうしかない書写の素晴らしさを、見つけたという以外ない。

ちりも積もればの精神で、可能な限り続けていきたい。書いていると読み飛ばしていた台詞の奥深い心理の襞のようなものを感じたり、巫女という字はこのような文字なのだったのだなと、発見は限りないのである。

スマホやパソコンで文字を 打つ時には、こんなにもしげしげと文字を、母語を眺めることはない。言霊を音読し文字に見入る時間は、今や私にとっては必要不可欠な時間となりつつある。これもまた音読自在塾を始めたからこそ(以前から折々やってはいたのだが、これからはずっと継続したい)の変化である。他者を指導することは、自分が学び続けることと、まさに同義である。

私は好きなこと以外は、ほとんど何もしない、またはできないとでもいうしかないほどに、怠け者である。時に横着でもある。そういう自分をこの年齢からでも変えられるものなら、少しでも変えたいという殊勝な変化の兆しを、以前よりは感じている。

一事が万事にやはり通ずるのだとの、遅きに失した気もするが、まだ私はほとんど隠者生活とはいえ生きている。あきらめるのは・・・。早いのだ。

とまあ、このようにKさんの参加で、突然見切り発車のように始まった音読自在塾、手探りしながら、慌てず、たゆまず、じっくり、考え考え、大空の下深呼吸しながら、今日のレッスンに想いをはせたい。

明日からは約半年ぶりに故郷にお墓参りに帰る予定である。したがって次のレッスンまで、多分五十鈴川だよりはオフとなる。


 

 

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