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2020-12-29

コロナ渦中生活、終息するまで原点に回帰する生活のあれやこれやを、妻と二人できる範囲で実践する。そのことに思いを巡らす。

昨日、 長年できなかった衣類の整理整頓、自分の衣類なのだから妻の指示提案に従いながら、自力で何とかすっきり手わけをすることができた。娘たちが使っていた2階のリヴィングの次に広い部屋の収納スペースに、すべての衣類が手わけされおさまった。手の届く範囲ですぐに着かえ が春夏秋冬、生活できるようになった。すっきりと落ち着いて気持ちが実にいい。

寝室も兼ねている二階のこの部屋でほとんどの時間を、(運動のため布団を必ず折りたたむようにしている。ベッドはおかない)この部屋で過ごすことが一番多い。東南と西に窓があり、冬でも日差しが明るく差し込み、五十鈴川だよりは今冬の陽ざしの力をいただきながら書いている。

さて、父親の残した丹前を羽織り暖房なしで、一文を綴っている。少し寒さを感じるがやせ我慢、強がりとやせ我慢が私のこれまでの人生を支えてきたのだし、近代化以前は当たり前だが暖を取るといったら、炭を熾しての囲炉裏こたつくらいしか なかったし、12歳くらいまで手がかじかみ、毛糸の手袋や分厚い靴下などそれまで無縁だったので、意地のやせ我慢的な性格が育まれたのに違いない。その幼少期の記憶が今の私の原点、それが私を支えている。

耐える、自分との闘い。天邪鬼的な被虐的(たいしたことはないのだが)性向がゆっくりと育まれたのだろう。だが先人たちの書物をひも解くと、可愛いものである。

単なるやせ我慢にすぎないが、冷暖房設備が満たされていると、頭が回らずささやかな一文がつづれない。(本質的には私は怠惰で横着な性格なのである)

皮肉にもインターネットが知らしめる、あまりの富むものと貧しきものとの格差の広がり。なんとも不条理、理不尽な世の中の経済構造とその不可解さを、中村哲先生はじめ、心ある人たちが命を賭して伝えてくださったことに対して何をしたらいいのかを考える。

 コロナウイルス、鳥インフルエンザ、口蹄疫、狂牛病、トンコレラ、等々のウイルスが猛威を振るう現実は、一体全体人類をどこに向かわせルのであろうか。

文章に脈絡がないが、劣悪な環境の中での底辺生活、寒さと風の中生きざるを得ないおびただしい人々、酷薄な環境に置かれている人々のことを、老いゆく身体で想像する。拙文をひねり出すには、手先をこすり合わせ押し競まんじゅうをしながら寒さに耐えた、あのころの自分を思い出す。

なんと今の自分の暮らしの満たされていることか。幼少期から少年期までの食卓の記憶を鑑みれば、今の食卓は比較にならない。ありがたい。足りないということは、想像力を育み、知恵を育み、感謝の念が育つように思える。

私は出口の見えないコロナ渦中生活、以前にもましてシンプル質素、幼少年期回帰つつましやか生活を実践するように心かけている。

亡くなられた野坂昭如さん他の方々の戦後の飢餓体験は壮絶である。戦場で人肉を食べざるを得なかったところまで、追いつめられた記録他、お正月を前に書くのは控えるが、非常事態、食物がなくなったら、人間は野獣に帰り鬼畜化する。私だってわからないのだ。

だから私は、食べ物を心からいただきますという感覚を取り戻さないとまずいと、コロナ渦中生活で心から思っている。コロナは私にいわば原点生活回帰を喚起させる。

話変わるが。春から晩秋まで育てたわずかな菜園場の野菜(ピーマン・なす・トマト・ジャガイモ、サツマイモ、おくら、シシトウ、枝豆)を、こんなにもいただいたことは初めてである。とくにぴーまん、わずか3本の苗で半年以上を食べ続けても足りたこと、スーパーで買う必要がなかったことに驚いた。

コロナ渦中生活いつまで続くのか 。特に都市部に住む人たちの不安は、想像に余りある。これでロックダウン、非常事態、が続いたりしたらパニック化することもありうるかもしれない。最悪の事態、SFが現実化する。スーパーマーケットから食い物が消えない日を祈るほかはない。頻繁に報道される他国の目をおおう映像現実は、対岸の火事とはとても思えない。

杞憂に終わってほしいが、もう見て見ぬふりする時代ではないという認識 は深まる。が浮き足立ってはならない、月を眺め花を眺め朝日を浴び、静かなる日々を送るしかない、楽観的に。

できるだけ明るい話題を書きたいが、私自身の生活にも非常事態が起きることの可能性はあるのだ。だから安易な移動、ヒトとの接触は避ける生活を心がけ、くいものを先ずは育てることをもっと学びたく思う年の瀬である。

 

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