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2020-12-27

妻と二人きりの一年のコロナ渦中生活、いつもと異なる年の瀬を気分一新楽しむ。

 妻と二人きりの年の瀬を過ごしている、というか今年はずっとほとんどの日々を妻と過ごしている。コロナのおかげというか、コロナのために否応なくなのだが、このようなことは以前も書いた気がするが結婚して以来初めてである。

妻と出合ったのは34歳なので、妻は私の演劇熱中時代のことはほとんど知らない。だから上京後のそれまでの私のことを、彼女 はほとんど知らない。(私の友人たちからその後少しは聞かされて知っている程度だ)

昨日の出口さんのことを少し書いたことで、私の青春時代のさまざまの一部をはじめて知ったと、妻はわたしに語った。男と女が出会い、仲良くなって共に暮らしても、お互いがお互いを理解するなんてことは、不可能だと私は想って居る。(何十年連れ添っても、妻は変化し私も変化移ろう、だから新鮮に暮らせる)。

またそのようなことのこまごまを、いちいち言葉にすることなどはまるで無理だし、私には興味がない。ただいえることは出会って35年近くなるが、もしコロナ渦が出来しなかったら、このように長い夫婦 二人きりの時間を過ごすことはなかったかもしれないと思うと、まさに怪我の功名、再確認、再認識、人生とは奇妙奇天烈というほかはない。

縁あって何十年も連れ添う生活の中で、夫婦というものの味わいの奥深さのようなものを コロナ渦中生活で私は(臆面もなく書くが)いま感じている、意外性、伴に居て面白いのである。

今年は娘たち家族が帰省してこないので 、二人きりの年の瀬お正月となるし、極めてつつましいお祝にとどめるつもりなので、時間に余裕があり、二人しての10日間のお休みを、昨日から家の中の整理整頓に、二人して時間を決めて一日に数時間充てることにした。

昨日の初日だけでも、ずいぶんと部屋がすっきりしてきた。部屋の細部のいちいちにアイデアが湧いてきて尽きない。私の部屋のカーテンの色も変わった。部屋の雰囲気が変わるとやはり楽しい。妻は私にとっては異能の人、私のような社会生活にうまく溶け込めない粗忽者を、社会生活ができるようにしてくれた、再び臆面もなく書くが、いわば恩人なのである。ややもすると息がつまりそうな生活の風通しをつまは変えてくれる。かけがえがない。

もう古希もまじかなので、今後は娘たち家族にも書ける範囲での私のお恥ずかしき人生は折々書いておきたいとの思いである。一言でいえば冷静沈着、私が不得手なことが善部こなせる人なのだということが、生活を共にすることで、徐々に徐々に私にはッきりとわかってきたのである。

妻とは直観的に結ばれ、ようとして未知の知れなかったことが判然としてくる。幼少期、少年期、青年期、ほとんど人に褒められたことのない私だが、昨日書いたが、出口さんに褒められ、上京後30歳目前にして、ようやく自信のようなものが、かすかに芽生え始め 、富良野塾を経て、ずいぶん遠回りをしたのちゼロから人生をやり直そうとした極みに巡り合えた。

出会ってから妻は私の存在そのものを肯定し、ほめ、金銭的にも全面的にバックアップ、応援してくれた、人生で最初の人である。だから私は頭が上がらない。

妻と巡り合い、玉のような娘たちに恵まれ、仕事に恵まれ、180度私の人生は変わった、といえる。なんびとも、蜘蛛の糸のような危うさを抱えながら、綱渡りのように歩むしかほうはないと思う。

私の場合は振り返るとだが、安易な途を(若気の至りとは言え)今となっては選ばなかったことで妻と出会えた。


 

 

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