ページ

2020-12-12

コロナの渦中、初老凡夫生活沈黙の弓をひく時間にすくわれる。

 12月に入って二回目の五十鈴川だより。もうすっかり感性が世の中の今についてゆけない、ゆかない、自己満足的生活を送っている、散歩と弓の稽古以外ほとんど出かけない初老凡夫生活を送っている。

もともと還暦を過ぎてから、帰省旅や家族に会いにゆく、遊声塾のレッスン、弓の稽古他よほどのことがない限り、静かな暮らしをしていた。コロナ渦中の間今年も二回ほどは帰省をしたし、上京し家族にも会っているので、きわめて個人的には遊声塾のレッスンがかなわぬこと以外は、私の生活は基本的にはさほどの変化はない。

が、世間世の中・世界は激変しているのが伝わってくる。もうすでに世の中での役割をとうに終え、地面の近くから世相の移り変わりを、ぼんやりと物思うくらいの存在とかしつつあることを、私は十分に自覚している。

スーパーテクノポリス 、都市化ハイテクリモート社会(画面を通してつながる)が、ますます進んでゆくのを、静かに大地の一隅から眺めるにしくはない。私は森や海山川(動植物、微生物)がないところでは生き苦しくてまず住めない。そういう体を引きずりながら今も息をしている。

生と死は選べない、願わくば五十鈴川のほとりで生を受けたので、五十鈴川のほとりで息を引き取りたいとの念いはあるが、そうは神がおろしてくれるのかどうかはは野暮である。

と、ここまで書いて おもうことは木の葉が落ちるように自然の摂理に身をゆだねる覚悟を育むためにも、今をきちんと日々を送ることにこそ老いの情熱を燃やしたいとの思いが、このコロナ渦中の日々の生活の中で強くなってきつつある。

孫や娘たちが生きるAIと人類が共存する未来社会がより良き社会になる様に、ひとりの年寄りとしてできることをささやかに考え実践してゆく自立した年よりになれたらとのおもいが、コロナ渦中 強くなってきている。

何より、じっと考える時間が増えたことが大きい。コロナは時期はともかく必ず収まる。その時に備えて、今のこの時間を大切に生きることの気づき、悔いのないように以前にもましてきちんと日々を大切に生きることの大事を身体を通して考えている。

話は変わるが、コロナのおかげで声を出す時間が極端に減り、弓をひく時間はその分増えた。饒舌と沈黙の時間をこの数年往還していたが、今年はコロナのために沈黙で過ごす時間が増えた。そのことで老いつつも、私の中の躰との対話は、深まってきた。予期せぬ収穫である。

この数年、全身、細い体でシェイクスピアの登場人物を声に出して、繰り返し音読してきた。普通本を繰り返し何度も何度も声に出したりして読んだりはしないと思うが、少なくとも遊声塾を立ち上げてからは、毎年一つの作品を何度も音読してきた。昨日と今日とは違う体で。

弓も同じである。方や饒舌、方や沈黙。だが全身を使うことは同じである。必然的におのれの体の器の現在があぶりだされてくる。そのことの自覚がより深まったのは、コロナのおかげである。


0 件のコメント:

コメントを投稿