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2020-12-01

月の光を浴び、たまたま見ることができたガンジーのフィルムから間接的に英知の光を浴びて念う。

昨日の夕方から、つまり11月30日から今日12月1日にかけて、いまも西の空には満月が浮かんでいる。おぼろ月も愛でることができたし、月を偏愛している私には、三日月の月の出から満月に向かう間、初冬の月のあのひんやりとした夜空を眺め、乾いた心が普遍の輝きに癒された。

昨夜は寝室の窓から夜通し輝く月の光をカーテン越しに感じながら熟睡したのだが、いつにもまして早起きし、ひとり夜明け前のフルムーンを愛でコーヒータイム、早朝の五十鈴川だよりというわけだ。月の満ち欠けでかくも私の精神と体は変容する。

一昨日の夜、総社の弓道場でかなりまあるい月の光を浴びながら弓の稽古をしたのだが、月の話題は居合わせた稽古人たちの口から出ることはなかったし、私も口に出すことは控え、このコロナ渦中、ただ月の光を浴びながら稽古ができることの ささやかないっときを天に向かってしずかに感謝した。

長女の夫も月が好きで、東京のマンションから望めた満月の写真が送られてきた。このような感性を持つ父親に日々育てられる孫の望晃くんの成長が、おじじとしてはただ楽しみである。週に何度か送られてくる動画や写真に私や妻がどれほどエネルギーをいただいていることか。こればかりは老いてみないと分からない喜びというしかない。

話は変わる。昨日午後たまたまNHKテレビで、リチャード・アッテンボロー監督のガンジーを後半だけ見ることができた。詳細は長くなるので省くが、いわゆる大作、フイルム時代に撮られた3時間以上の映画の醍醐味を小さな画面で堪能した。

ジョン・ギールグッド、エドワード・フォックスはじめ名前は失念したが、私の知る過去の名優が男女ズラリ登場する。ご存じの通り結末は悲惨である。イギリスの植民地支配からは独立を果たすものの、ヒンデュー教徒とイスラム教徒の宗教対立が勃発する。

多くを語れる知性も教養もない初老凡夫の私だが、ガンジーの死から幾年月、状況は殺りく兵器のおぞましい進歩(私に言わせれば卑怯千万な退歩兵器というほかはない、しかも正々堂々と一対一で戦わない、兵士を雇う、ほとんど利害だけの代理戦争が無限地獄のように続く)、特に核弾頭、無人兵器の開発で悪化する一方に思える。

朝からこのようなことを書くつもりは毛頭なかったのだが・・・。ガンジーが生きていたら今のこの世の世界をどのように思い語り行動するであろうか。ガンジーは無抵抗、断食しながら思考を深め、歩き行脚し戦うことの愚かさ、差別することの愚かさを説くが大多数のおびただしい貧しい民衆には聞く耳がないし届かない。

理不尽。不条理を言葉で言うは易い。だがガンジーのような先人がいたことは救いである。ガンジーは言う。時の権力者がいくら力を行使しても、真実と愛の前ではやがては敗北すると。

すでに8カ月、このコロナ渦中がもたらした、静かな初老生活は、ゆっくり学び、知り、考えるまたとない時間をもたらしてくれている。少数の過去の先人たちの偉業、英知の光を月の光のように浴びたいと初老凡夫は念う。

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