ページ

2019-07-19

雨である、不在者投票に行こうと考える朝の五十鈴川だより。

雨である、アルバイトはお休み。雨の予報でも岡山は晴れの国いうだけあって、雨が落ちてこない時間帯が多い、そういうわけで梅雨の時期であるのに、今月は今のところ順調に時間を消化しながらアルバイトができている。健康であるからこそ動けて、やる気も持続でる。この有難さ感覚を持続することこそが、老いの身を活性化する源である。

さて、いきなり話題は変わる先ほど新聞を取りに行くと、一面トップは京都の放火によるアニメーション会社の火災記事である。まさに国内テロとでも(詳しい原因はわからないが)いうしかない悲劇的事件。

参議院選挙目前のまさに悪夢のような惨事である。もう社会的な大部な役割は、ほぼ終えた我が身を自覚しているが、孫の行く末も含めてこれからの未来社会の人々の、明るき展望を望む私としては、今を生きる一前期高齢者としてささやかに思考ブログしなければならないと、再認識させられる。

高校時代に知った言葉で、折々私自身を救った言葉に、【絶望とは愚か者の結論)である、とか、リア王の台詞【今がどん底であるといえる間はどん底ではない】とか【身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ)とか、枚挙にいとまがないくらいに、単細胞九州男子は言葉の力に頼ったというか、自分自身に暗示をかけ、乗り切ってきた(これた)自覚がある。

便利快適、汗をかかない、少しでも効率よく楽をする。他者に無関心(スマホに埋没)現代都市空間にほとんどの仕事世代が暮らす現代とは、いったいどのような時代なのであるのか。バーチャルとリアルの区別がつかない。排泄する生き物としての自覚があまりにもない。(人類は多くの生き物の排せつ物ほかを醗酵し、たい肥にして作物を育て命をつないできた)
新聞で見つけた本、雨なのでゆっくりと読もうと思う

私のことだが現代人は、鳥になったかのような目で、俯瞰的に時折思考しないとまずいと、私のような凡夫でさえ考えるのであるが、考えても仕方がないとの、悪循環回路に、どっぷりつかって身動きが取れない、思考渋滞に陥っているのでは。(と自分にまずはとうのである)

長くなるので簡略に書く、楽をして何かを手に入れようなんてことは、どのような時代が来ようとまずありえないと、私は考える。それぞれの責任世代が考えては実践し、反省し、その中で日々の暮らしの中で、おのおの各自が、気持ちの安定する居場所を見つけて努力してゆくにしか、さしあたっての妙案など私などには思い浮かばぬ。

王様であれ、乞食であれ、等しく人間すべて与えられたこの世を生きてゆくのは、過酷を極めるとは、私自身のささやかな認識、ならばどのように生きるのか、どのような国にしたいのか、そのためには、様々な時代、歴史上の死者たちの紆余曲折を経て手にした、貴重極まる国民の義務と権利、今のところ選挙に行って示すしか私には他に方法はない。

インターネットのおかげでの、デモンストレーション、SNS,ユーチューブ、ツイッター、五十鈴川だよりであれ、意見が述べられる時代の到来、まさに全世界的な革命的というしかない時代の渦中を我々は生きている。負の側面も多々あるとは思うけれど、可能なら未来社会時間生きるための人たちの平和のためにも、あらゆるツールを有効に使い選挙に行って意思表示しなければ。(禍根が残る)

インターネットをしなくても、考えることを放棄しなければいくらでも方法はある。何よりも神様から人間は考える葦を与えられているのであるから、考える楽しみを放棄することは、まさに愚である。お金がなくとも考える自由をこそが、我が身の宝である。

我々の一票を託すための、政治家、人材が、もし不在であるとすればその国の行く末は、暗いというしかない。がそれもこれも、つまりは選ぶ側の国民一人一人の見識が問われる。つまりは自分が問われるのだと考える。

今朝の新聞に、37歳のアルバイトで生活して居る男の方の投書が載っていた。先の大戦でなくなった方々の慰霊のためにも、棄権することなく投票したい、と。



0 件のコメント:

コメントを投稿