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2018-12-15

村上春樹著【職業としての小説家】を読み、深く撃たれ想う、。

この時間でもまだ外は暗い。昨日夕方何とはなしに体が重く気分がふさぎ気味だったので、邪気を払うような面持ちで、ゆみの道場に行き約一時間ほど弓の稽古をした。空には半月に近い月。私ひとり別世界であった。

弓の稽古を始めたのは65歳の誕生日からだから、来年の2月で丸2年になる。始めた当初のことを想えば、よくもまあ続いたものである。

例えて言うのもまるで違う世界のことなのであるが、これと似たような思いをあえて挙げるなら、富良野に31歳でいったときのことが浮かぶ。

31歳だったからこそ、2年半の富良野での、遅い青春の 最後の時間を、よくもまあ耐えられたものとの思いが蘇る。

ほかの方はいざ知らず、私は意志が弱く自分の 好きな世界に逃げ込みがちな思春期を送ってきたのだが、世の中に出てこれではどんな世界でも通用しないとの思いに次第にかられながらも、何とか糊塗をしのいできた。

長くなるのでこれ以上書かないが、自分が心から好きで楽しめて なおかつそれで生計を立てながら生きてゆける人は、そうはいないというか、ほとんどはいないのではなかろうか。

還暦も半ばを過ぎいま、今ようやくにして心身ともに穏やかな、初老生活を送っている自覚がある。


だがこの感覚も、継続持続を怠ると、握った砂のようにわが手から漏れ出すのである。だからこそ日々邪気を払うかのように、何事かにしがみつき、内心の得体のしれないものと向かい合っているのかもしれない。

話は変わる。村上春樹という世界での評価がほぼ定まっている作家である。。氏の新しい小説を待ちわびる読者が今や世界にたくさんいて、毎回ベストセラーになる。翻訳されている国は50か国に及ぶ。

私は、初期の氏の作品を読んで以来、ほとんど氏の作品を読んでいない。そのような私だが、先日図書館でたまたま、職業小説家としてのこれまでの歩みの想いを赤裸々に語っている本を手にした。

読み始めたら止まらなくなった。一読私は深いため息と共に、飾らない誠実な語り口文体に、魅了された。愚かな私はこの方の新しい文学をまったく誤解していたのである、一方的に。深く反省している。

そして、この方は本当に小説を書くことが 好きで、天職として職業となしうる道を選びうる運命に導かれたのであることを、深く納得した。

氏は私より3つ年上である。かすかにあの時代の空気感を私も共有している。なぜこのような作家が私と同時代に出現したのかは、やがて時代が証明するだろう。

私は氏とは育った環境があまりにも異なっているがために、生理的にある種の距離感があるのはいなめないのであるが、そんなことは些細なことである。

本質的に氏の小説に真摯に取り組む姿勢、そのあまりなまでの、いい小説を書きたいがための一途さ、一見過剰に思えるストイックな生き方は誤解を生むのかもしれないが、天職なのであるから致し方ない。

氏の考えだした新しい文体はワールドワイドに通用する、現代日本を代表する作家なのである、そのことを深く遅まきながら、私は得心したのである。よかった。





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